「幸子の部屋」〜きもので自社の未来を語る〜 Vol.4 オキデザイン 沖 宣之さん(中①地区会)
皆さん、こんにちは。ひとつ麦の吉原幸子です。
ゲストの方に、お着物を着用してもらってお話を聞く「幸子の部屋」へようこそ!
今回のお客様は、デザイン会社を経営している、オキデザインの沖宣之さん(中支部①地区)。彼こそ、まさしく「継続の人」です。続くインタビューにご期待ください。
【本日のお召し物】
沖:鉄色の紬のアンサンブルにグレーの羽織紐を合わせました。緑とグレーで織りだされた博多帯を合わせて洒落た雰囲気にコーディネート。
吉原:黄八丈の着物に、アンティークの染帯を合わせてレトロなコーディネートに。帯締めを抹茶色にして引き締めています。
【本日の撮影場所】
広島市中区・レンタルスペース「アウトサイダー」
吉原:早速ですが、お仕事を始めたきっかけを教えてください。
沖:父の影響があったかなと思います。実は父は、僕が2歳の時に亡くなってます。絵がとても上手な人だったそうです。
4歳の頃、祖母が亡くなった父が描いた戦艦大和の絵を見せてくれました。その時、祖母が言った「(父を)絵を描く仕事に就かせてやりたかった」という言葉を鮮明に覚えています。
吉原:戦艦大和を見て描けたなんてすごいですね!
沖:祖父は大和の造船の仕事をしてたんですよ(笑)
祖母は僕が絵を描くと喜びました。それでなんとなく、絵に関わる仕事に就けたらいいなと思って、中学生になるまでは漫画家になりたいと思ってました。
でも、その頃には、分かっちゃったんですよ。自分が全然上手じゃないことに。そこから絵に対する興味がなくなりました。
吉原:全然描かなくなったんですか?
沖:絵どころか、勉強もしませんでした。高校2、3年の頃はバンドをしてました。これといった目的もなく、学校サボって、悪さして、停学になって母を泣かせました。
それでも卒業はやってくるので進路決めなければならない。友人Aがデザイナー専門学校へ。友人Bがビジネス専門学校へ進学することにしたので、自分もどちらかについていこうと思い、母に相談したところ「あんたの好きなことをしんさい」と言われました。
実はこの時、母は余命いくばくもない状態でした。「この子が生きて食べていけるようになるには好きなことをさせるしかない」と母は思っていたのかもしれません。
親族からは「美容師になれ」と強く勧められましたが「頑張れる方がいいんじゃないか?」と思い、デザイナー専門学校へ行くことにしました。
吉原:暗中模索の10代ですね。
沖:自分の向かうべきところが見えず、フラフラしてました。専門学校ではデッサンをやらされるのですが、何度やっても全く描けない。「もうやめようかな」と思っていた頃、デッサンの先生から「お前は絵がめちゃくちゃへただけど、一生懸命描いとるけー、ええと思うで」と声をかけられました。
「あれ?そうなのか?」と思いました。
更に後日、先生はみんなの前で自分のデッサンを掲げてくれて「ええかー、みんな!こんぐらい一生懸命描くんでー!」と言ってくれたんです。
単純にも、褒められたことで描くことが面白くなって(笑)学校でも1、2位の成績になりました。
吉原:認められたことで前向きになって、結果も出せたんですね。1位になるというのは並大抵でない努力です。
沖:「かっこよくて、人に喜ばれる仕事をしたい」と思い、グラフィックデザイナーになることに決め、ポスター、チラシ、ロゴなどを作る勉強をしました。
吉原:具体的なお仕事も見えてきたんですね
沖:はい。ですが、僕の卒業年は「就職氷河期」と呼ばれた就職難の時期で。仕事が見つからず、1年学校に残って、教務の仕事を手伝いました。
吉原:私も同世代なので分かります。辛い時期でしたね。
沖:ありがたいことに1年後、無事、印刷会社に就職。提携のデザイン会社で7年働きました。給料は安いけど、無茶苦茶仕事をする会社でした。
プレゼンで仕事を獲得しては天狗になり、不採用になっては、へこむ。その繰り返しに疲れて「プレゼンのない会社」に行きたくなり、転職を決意しました。
吉原:新しい環境を求めたのですね
沖:紆余曲折を経て、地域デザイン会社「ギミック都市生活研究所」に就職しました。
実は前職のデザイン会社では、絵を描くということを全くしていませんでした。新たな職場は「イラストマップ」を作成する会社で、絵も字も書かなければならない。描くスキルと共に、考え方(コンセプト)というものを鍛えられました。
社長がカリスマ的で、企画書を書くのがめちゃくちゃ上手くて、いつもほれぼれしてました。
「こんな風になりたい」と思いながら12年働きました。
吉原:沖さんのスキルアップが目に浮かびます。
沖:しかし、ホームページというものが世の中に現れて、会社も変化を迫られました。今後、これまであった情報誌、紙媒体が不要な時代がやってくることが予測されるようになりました。
そんなある日。突然、社長が「これから自分はお好み焼き屋をやる!というわけで、会社は解散!」と社員に宣言しました。
吉原:突然の大転換ですね!
沖:はい。もう、社員一同びっくり仰天しました。
突然仕事がなくなっては困るので、「それならギミックを引き継がせてください」と社長にお願いしました。しかし「それは出来ない。自分はお好み焼き屋をやりながら、ギミックもやるから。」と言う。
代わりに「お前がフリーランスになるなら、このまま半分くらい仕事を任せる。どうするや?」と提案されました。
吉原:この時、おいくつでしたか?
沖:40歳でした。妻と、3人の子供(11歳、9歳、7歳)を抱えて、無職というわけにはいかない。
フリーランスになって、本当にやっていけるのか?家族みんなを養えるのか?3ヶ月悩みました。
吉原:奥さんはなんとおっしゃられましたか?
沖:「やってみれば?」と。
「仕事をもらえるわけだし。失業保険もあるし。1年やってダメだったら就職すれば?」と背中を押され、生きるために、一旦フリーランスになる決意をしました。
吉原:しっかりとした奥様ですね!
沖:それから営業に出かけては仕事を獲得する毎日が始まりました。フリーランス仲間からも仕事を紹介してもらい、おかげで1年経たないうちに、デザイン事務所の中に間借りさせてもらえました。仕事と場所が出来たことは大きかったです。
3年目で、前職より収入が良くなりました。もう、寝ずに働いてましたね。直の依頼が多くなり「やった!これで生きていける!」と心の中でガッツポーズしました。
5~6年目にコワーキングスペースに事務所を構えました。営業の上手い、やはりフリーランスの女性の先輩と2人で折半して借りました。
吉原:とんとん拍子に事業が成長していきましたね!
沖:それから1年経った頃、中①の原田さんに誘われて、同友会に入会しました。
「同友会に出会わなかったら、会社を経営出来てなかった」という原田さんの言葉に魅かれました。振り返って、反応したタイミングもよかったと思います。
吉原:それはどういうことですか?
沖:僕は「お客様の会社や、社会を良くするのがデザイン」だと思っています。今より良い方向に向かうため、今、世の中で必要とされているものに関わっていく仕事です。
もっとクライアントさんの経営や商売の力になりたい。そのためにはブラッシュアップが必要。そもそも「会社とは何だろうか?」というようなことを考え始めていたところでした。
そこで誘われて2か月で同友会に入会しました。2019年でしたから、今年で4年になります。
吉原:同友会に入ったことで、ご自身に変化はありましたか?
沖:ありました。経営労働委員会で経営理念を学ぶことを通して「社員」を意識するようになりました。僕は一人経営者だったわけだけど、「スタッフを雇った方がいいんだろうか?」と思うようになりました。
同じ頃、仕事量が増えてきて、1人ではこなしきれなくて。2021年、2名のスタッフを雇うことにしました。
吉原:いきなり2名の採用とは、思い切りましたね。
沖:2021年から、大学生をインターンとして受け入れてきました。安田から7名の子がやってきて、インターンの子のデザインがクライアントに採用されたりもしました。1~2名から「就職したい」という申し出もありました。
しかし彼女たちはまだまだいろんな可能性や選択肢があります。もっと大手の会社に行きたい気持ちになるかもしれない。そう思って穴吹にも就職の募集をかけました。
2020年に作った経営指針を持って就職説明会をしたら30名の応募があった。3ヶ月かけて4名に絞って、最終的に1名の採用を決定。
やれやれと思っていたタイミングで、安田の子が「やっぱり沖さんのところで働きたい」と言ってきた。悩んだ挙句、2人とも採用することにしました。
吉原:経営的にはかなり厳しい決断だったと思います。採用後、どのようなことが起きましたか?
沖:2人雇ったら、お金が無くなりました。しかし結論として、自分が出来なかったことが出来るようになりました。
吉原:具体的に教えてください。
沖:第1に、1人の時は、お客様の要望に6~7割しか応えることが出来ませんでしたが、スタッフを採用してからは100%応えられるようになりました。
第2に「会いに行くデザイン事務所」になることができました。自分が顧客に会いに行っている間にデザインしてくれるスタッフがいるので、顧客の希望に添ったものを納品出来るようになりました。
第3にビジョンマップの完成度が上がりました。3人の連携プレーにより、他社ではマネできないことが出来るようになったのです。
例えばワークショップ。地域や社内の人を集めて、ファシリテートして、下絵を描いて、協議して、イラストを描いて、ビジョンマップにする。とても面倒くさいプロセスです。
けれど、本当の気持ちがあぶり出されて、ひとつの真理にたどりつく。「うちの会社、うちの地域はこうだよね」というのが出てくる。そしてこれを強化していくわけですが、他社には真似できない内容と自負してます。
吉原:3人の力が掛け合わさって、新たな「組織」が誕生したんですね。
沖:会社は一丸とならないとうまくいかない。方向や、プロセスを具体的に示し、形にし、はっきりとした答えを提示したい。だからデザインが好きで、描くことが好きなんです。
吉原:今のお仕事へのきっかけから現在までをお聞きしました。これからのビジョンについても教えてください。
沖:ワークショップや、参加型プロジェクトに注力したいです。「企業一丸となってより良くなるためにはどうしたらいいか?」という仕事がしたい。デザインを通して、活動のすそ野を広げたいです。
吉原:沖さんの力を必要としている企業、地域は多いことと思います。
沖:それから、好き嫌いで仕事をしたいです。うまくいっている会社は「好き嫌い」で仕事を選んでます。
僕の知っている経営者に「道理に合わないことはやらない」ことを旨としている方がいます。こうすれば儲かる、と分っていても、それが別の誰かの既得権益を奪ってしまうことになるなら、それは道理に合わないからやらない。争いは避ける、と決めておられます。
是非、好き嫌いを通してその人の能力を上げていってほしいと思います。
吉原:それはどういうことですか?
沖:日本は絵を描いたり、デザイン、アートをしたい人が世界の中で一番多いんです。好きなことを突き詰めて、自分に磨きをかけてほしい。
若者と一緒に世界に通じる欲望を叶えたい。世界中の人の夢を叶え、企業、社員、経営者の夢を叶えたい。
若者の才能は本当に素晴らしいです。日本の教育も、文化も素晴らしい。そこを大切にしながら、若者と共に日本の課題、やりたいことを形にしたいです。
吉原:壮大なビジョンです。好き嫌いで仕事を選ぶという言葉にハッとしました。
嫌な仕事であっても、売り上げのためについ引き受けることがあります。けれど沖さんの言葉に、改めて自分自身の軸をずらさないこと。そのためには、自分自身をデザインすることが必要であることに目を開かれました。
紆余曲折を経ながらも、幼少の時から継続して絵を描き、自身をデザインしてきた沖さんだからこそ説得力を持って伝えられることだと思います。
今回は、「継続の人」オキデザインの沖宣之さんにお話を伺いました。次はあなたをご訪問するかもしれません。是非お着物で、事業の来し方行く末をお聞かせください。
それではどうぞ、ごきげんよう。
記:ひとつ麦 吉原幸子