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2023.06.23

「尾道から世界へ!~自社の価値に気づき、築く~」尾道支部30周年記念行事

講師:佐藤繊維㈱ 代表取締役  佐藤 正樹 氏(会社所在:山形県)

私は山形で糸やニット製品の製造販売をしています。また、セレクトショップの運営を行うなど、まちづくりにも取り組んでいます。佐藤繊維㈱は92年前、私の曽祖父が山形で一頭の羊を飼い始めたことがルーツです。父の代でニットを作るようになり、私の代でブランドを立ち上げました。
私が東京から帰郷した31年前には、山形にあった485社の繊維会社は16社にまで減少していました。また、日本国内のニットはかつてその半分が日本製でしたが、15年前には99%海外製品となりました。現在、99.6%は輸入品です。
日本の貿易赤字は継続しており、今後も黒字に戻ることは難しいと考えています。日本から世界へ輸出する製品が限られているからです。かつて日本国内で生産していたものは、海外で生産されるようになりました。世界の中でも成長してきた日本はどんどん衰退し、加速する人口減少という課題を抱え、地方は過疎化が進んでいます。このような時代だからこそ、私は中小企業が様々な課題を解決すると希望を抱いています。

■誰にも真似されない付加価値に向けて

私が帰郷したころ、多くの繊維会社は繊維製造の加工賃金・原材料が日本よりも安い海外に生産拠点を移していました。そのような環境の中でも日本国内で生産し続けていた私達は、日本のアパレルメーカーから「海外製品に負けない、付加価値の高い商品を作ってほしい」と依頼を受けました。当時はコンピューター導入の黎明期。私はコンピューターを駆使し、今までに無いような商品をつくりました。それが注目を集め、爆発的にヒット。次の展示会では、私の商品がメインで展示されました。しかし、その次の展示会では、前回私が作ったものと良く似た商品がメインに飾ってありました。それは、大企業がヒットした私の商品を真似て作成した、私が出した商品よりも2割ほど安い値段の商品でした。
意気消沈をしながら次の商品開発のため、リサーチをしていた時に、イタリアのブランドで、見たことのない糸が使われたニットを見つけました。早速、その糸を購入し、商品を製作。その商品は高価な値段にもかかわらず、多くの方に購入いただきました。後日、アパレルメーカーからお褒めの言葉をいただきました。私がすっかり好い気になったところで、「あの糸をどこで買ったのか」と、尋ねられました。私は、口を閉ざしました。教えれば、真似をするかもしれないからです。私が教えないと分かった途端、相手の態度が豹変しました。
その経験から、自社が持つ貴重な情報を隠しておく大切さと、佐藤繊維でしか生み出せない付加価値がなければならないということに気づきました。それ以降、私はこれまでに無い素材の創造に積極的に取り組むようになりました。

■社員がものづくりに目覚めたのは、社長が変わったから

ある年、あの『見たことのない糸』を製造した、イタリアの紡績工場から会社見学と糸の展示会に誘われました。訪問すると工場長が現れ、歓迎をしてくれました。その彼は誇らしげに「自分たちが、世界のファッションの元を作っている」と話しました。私は、その言葉に懐疑的でした。私たち繊維製造会社は、アパレルメーカーやデザイナーの要望に応える存在だと思っていたからです。彼は実際に糸を触らせ、作り方まで教えてくれました。目を輝かせ、楽しそうに熱く語る彼の姿から、自らものづくりを真剣に考えていることが、ひしひしと伝わってきました。それを聴きながら、途中から胸が苦しくなりました。私のものづくりへの情熱は、彼と比べてほど遠いものだったからです。
海外の展示会は日本と異なり、各社が自社の商品をよりよく魅せるブースをつくります。自分が1から作ったものを、自分が演出して発信するその様子に、私は衝撃を受けました。紡績会社として本来あるべき姿を見た気がしました。
帰国後、社員にイタリアの様子を話し、「オリジナルの糸が作りたい」と伝えました。私の提案に困っている様子でしたが、説得の末、オリジナルの糸の開発が始まりました。
数か月後、社員がぶっきらぼうな態度で、私の机にできた糸を叩きつけました。態度に反し、実は得意げであることを察した私は、「ここをもっとこうしてほしいけど、難しいよね」と言うと、以前は出来ない理由ばかり話していた彼が「それは、大丈夫だと思う」と言うのです。彼は、世界に無いものを作るというものづくりに夢中になったのです。なぜ、彼は変わったのでしょうか。それは、私が変わったからです。私が変わっていなければ、彼は糸を作る面白さに気がつかなかったと思います。上に立つ人間が夢を持たなければと、改めて思いました。

■魅力をプロモーションする大切さ

自社商品を伝えるべく、アパレルメーカーへ営業をしました。ですが商品を見る前に、どういう機械を持っているか尋ねられ、お答えすると断られてしまいます。当時のトレンドはハイゲージ(網目の細かい)のニット。取り扱いの無い弊社は相手にされません。そこで、商品を見てもらうために、展示会に出ました。70点という魂のこもった膨大な量のサンプルをつくり、ブースもすべて自分でつくりました。隅っこの小さなブースでしたが、気がつけば、ブースに入れなくなるほど人が集まっていました。展示会が終わると、私の手元には約400枚の名刺が残りました。その内170件が企業でしたが、その内のほとんどが数ヶ月前、営業をかけて、断られた人たちでした。
お客さんからはアメリカの最高の展示会への出展を勧められたのですが、そこに出展するためには、自社のお客さんを増やさなければなりませんでした。そこで、自分たちのブランド「M.&KYOKO」にストーリーを作ろうと考えました。「佐藤繊維は、初代が一匹の羊を飼うことから始まり、四代目の私が技術を受け継ぎ、デザイナーの妻のために糸を作っている」というストーリーです。このストーリーがきっかけで、知名度が高まり、アメリカの最高の展示会への切符を手に入れました。その経験から、プロモーションのやり方を考える大切さを学びました。
ヨーロッパの展示会に出たときのこと。私達はやはり、隅っこでした。その時に展示していたのが、52メートルのモヘア(「アンゴラヤギ」の毛から作られた天然繊維)でした。世界で最高の糸を作るイタリアでさえ、作れなかった長さです。大勢の方にお越しいただき、世界最高峰のブランドからの名刺をいただきました。翌年、弊社のブースはメインフロアに設置され、その展示会の様子を知ったシャネルから連絡がきました。その年の12月のコレクションは過去最高にニットが多く出され、そのニットはほとんどが、自社のニットでした。その後の展示会では、既に私達の商品が世界で一番高いニットになっていました。一番高いブランドとして、プロモーションとブランディングに力を入れることになります。「いつか、オリジナルの糸を作りたい。世界のトップブランドとビジネスをしたい」と、ビジョンと夢を持っていました。自分ができることを一歩ずつ確実に歩めれば、夢は叶うのではないかと思います。

■日本を変えるのは私たち中小企業

日本の地方すべてが生き残ることは難しいかもしれません。ですが、自社・自身・地域の価値や課題に気づき、新しい技術を改革する人が生き残るはずです。中小企業家とは、厳しい環境で戦い、生き残った人たちです。私たち企業が、地方から発信することが、世界をよりよくする上で重要です。
日本を変えるのは私たちだと思います。共に地域ををよりよくしましょう。

(文責:事務局 橋詰)