「南三陸町と笠岡をつないで10年の活動〜復興から観光へ。見て知る!食べて知る!〜」福山支部地域内連携推進委員会
報告者:上 一枝 氏(笠岡市)
第3回の地域内連携推進委員会は、私の友人である笠岡市在中の上 一枝氏に報告して頂きました。10 年前の東日本大震災をはじめ、西日本豪雨、熊本地震など過去にありとあらゆる災害や震災が起こっています。この度は、10年間という長きに渡り南三陸を行き来して、震災にあわれた企業がまだまだ道半ばですが、どのように復活してきたか現状を再認識して、もし自社がこのような災害にあったときどのように対処するのか学びました。
もともと笠岡市と南三陸町は「全国ぼうさい朝イチネットワーク」という共助推進事業で繋がりがあり、平時は各地の特産品を持ち寄って顔が見えて味のわかる関係を作る事と、発災時は混乱する被災地ではなく安全な「隣」を拠点に必要な物資を隣から支援するシステムの構築があったそうで、平時の繋がりが大切です。
そして上氏は南三陸町の被災地を10年で65回も訪問する事により現地の方々と交流する中で、笠岡市と南三陸町の人々をつなぐコミュニティ 〈いぐすぺ南三陸応援団〉をつくり、笠岡市から南三陸町へ、また南三陸町の方々を笠岡市や倉敷市にお呼びして、当時の体験談や現在進行形である現地の企業経営者のお話も聞いて災害の時はどう立ち上がるのか強い会社づくりのお話もして頂きました。
上氏が南三陸町で一番お世話になっている方は、震災当時の宮城県中小企業家同友会 南三陸支部長 ㈱ヤマウチ 山内正文社長だとの事で、地元の山内社長が中心になりその避難先の志津川中学校をまとめていき、また中学校の協力もあり短期間で食事や排便の設備が整ったと言う事です。そして避難時に山内社長は店舗や工場が流されていく様子を高台から見つつ、これから始まる避難所生活と会社の再建を考えられていたそうです。
最後に南三陸町の方に教えていただいたことがあります。それはいつもガソリンを入れておくこと、いざとなったら車はとても便利ですがガソリンが無いとただの箱だと言う事です。メータが半分を切ったら入れるクセを付けることが大事です。それと保険証は写しで良いので肌身離さず持っておくことで、それが身元確認にもなります。そして何かあった時の為に家族の集合場所を必ず決めておくことが大切だと。皆さんも普段から防災グッズや非常食を用意されていると思いますが、これらの事を心にとめておいて頂ければと思います。