「歴史を繋ぎ、人と街が輝く未来へ ~未来を担う経営者よ 共に高め合おう~」東広島支部青年部会 15周年記念行事
- 開催日時:
- 2024/10/26(土)
- 会場:
- 広島大学サタケメモリアルホール
- 人数:
- 103名
- 報告者:
- (有)テヅカ精機 代表取締役 手塚 良太 氏(長野同友会 中同協青年部連絡会代表)
- 文責者:
- 事務局 中野
報告者:有限会社テヅカ精機 代表取締役 手塚 良太 氏(長野同友会 中同協青年部連絡会代表)
わが社は1946年に父が創業した会社で、長野県木曽郡木曽町にあります。現在、グループ全体で137名の社員が働いています。私は高校卒業後、愛知県でバンド活動を熱心にしていました。ですが父が倒れ、家業を継がなければいけない状況になり、長野県に戻ってきました。会社を継ぐと決めましたが、バンド活動しかしていなかったため、経営者とは何かわかりませんでした。そんな不安に押しつぶされそうになっていた時に出会ったのが同友会でした。紹介者の先輩が愛知の会員だったため、愛知同友会に入会しました。
入会当時のわが社は社員数14名、平均年齢は50歳を超えていました。1社依存率99%で、仕事をすべて覚えるために寝ずに働きました。また、同友会活動には絶対に参加しようと決めていたので、長野県から愛知県まで通い続ける生活を2年間続けました。
入社して数か月が経ち、父の体調が少しずつ良くなってきたので、色々と質問しましたが、返ってくる答えは「われの好きなようにやりゃーいいじゃん」でした。何も教えてもらえなかったので、好きなようにしていました。ここからが失敗の連続です。
失敗の連続
受注量が少しずつ増えてきたタイミングで、採用活動を始めました。14名の採用ができましたが、3か月経つとほとんど辞めていきました。当時の私は何が悪かったのかわかりませんでした。同友会で社内アンケートの話を聞き、自社でも実施しました。しかし、返ってきた回答は悪口ばかり。私はそんな社員を信用できなくなっていました。
そんな時、一社依存率99%だった取引先からの仕事が突然なくなりました。何とかしようと営業活動に取り組みますが、売り上げは上がらず、お金も回らなくなってきました。何をやってもうまくいかず、会社近くの公園でひたすら泣く日々が続きました。
そんなある日、父に連れられ廃工場を巡りました。その工場は全て父の友人の倒産した会社でした。「お前が帰ってこなかったらテヅカ精機もこうなっていた。だから本当にお前の好きなことをやれ」と言われ、今まで勝手に自分が作っていた社長像を崩され、本当に自分の好きなようにやろうという感覚になりました。
理念にこめられた思い
まず、実践してもうまくいかないことを相談しました。先輩には「理念は作ったか?経営者として何をしていくのかを決めてから実践すれば会社はよくなる」と言われ、経営指針を作る会に参加しました。しかし、経営理念を作る際、「何のために経営していますか?」という問いに答えることができませんでした。社員に聞いてみたらいいと言われ、再度アンケートを実施しました。すると社員からは、木曽を良くしたいという地域に対する思いがたくさん書かれていました。以前のアンケートは悪口ばかりで社員のことを信用できていませんでしたが、この瞬間に社員を信用できると希望に変わりました。父に初めて、創業時の思いも聞き、社員の言葉を拾いながら、一年かけてみんなでつくった理念が「ものづくりからまちづくり」です。ものづくりから地域社会の活性化をめざした理念です。
「手塚さんの会社は良い人材が沢山いていいですね」と言われますが、良い人材とは何でしょうか。社員をいかに輝かせることができるかを考え続けることが社長の仕事だと思います。また、社員を信じて任せて、とにかくチャレンジ、失敗させることが社員と会社の成長に繋がると思います。その上でルールがあるから社員も自由に動くことができると思います。このルールが経営指針書です。ですので社員とともに毎年ブラッシュアップしていく必要があります。
自社が地域の未来を切り拓く
テヅカ精機の10年ビジョンは「月曜日がワクワクする人が輝く信頼企業」です。月曜日がワクワクするという言葉は、ある社員がテヅカ精機を一言で言うとどんな会社か聞かれた時の言葉です。
企業も人もどんどん減っているこの地域で、誰もが働け、地域から1番頼られる会社をめざしています。そのために、自社が成長しさらなる雇用をつくることが地域活性化に繋がると思っています。長野県の未来は誰かではなく、自分たちの力で切り拓いていく気持ちで取り組んでいます。ぜひ皆さんで切磋琢磨しながらこれからの日本をつくりあげていきましょう。