「社員の力を引き出してくれたものとは」呉支部第36回定時総会特別企画報告要旨
報告者:中国シンワ㈱ 代表取締役 太原真弘 氏 (広島西支部)
我社は私の父が、1971年にホテル向け消耗品販売業として創業し、現在はホテル、旅館、病院、医院向け専門総合商社です。今年から新規事業として生口島産レモン果汁を配合したハンドクリームの製造・販売も始めました。ちなみに私、創業同年の1971年生まれです。かつて、お笑いの道を志したこともありましたが、2代目として28歳の時に入社、2004年33歳で社長に就任し、現在に至ります。同友会へは2003年に先代からの名義変更の形で入会しました。
■どんな会社にしたいのか?
社長就任以来、事業は比較的順調。そんな中、私に大きな転機が訪れたのが2018年。その転機の出来事についてお話しします。
当時の営業課長が「この組織のままでいいんですか?この会社をどうしていきたいんですか?」と私に訴えかけてきました。なぜなら、2015年から2018年の間に、5名入社し5名退社。新人が定着しない、長続きしないのです。
原因は分かっていました。社長に就任した際、私が「右腕」として他社からスカウトしたある役員の存在であることを。その彼、営業マンとしては優秀で、会社史上当時最も売上、利益をもたらしてくれた人物ではあったのですが、完璧主義の性格な分、部下への指導も厳しく、精神的に追いこんでしまい、組織、人を導くにはまだ未熟なところがあったのです。
同友会の先輩経営者何人かに会社の現状を相談しましたが、誰も同じ答え、「会社のトップは誰か?どんな会社にしたいのか?」でした。この時初めて自分と向き合い、組織の方向性について必死になって考えました。そして自分なりに出した答えが「寺子屋みたいな会社組織作り」、でした。立場の上下関係なく、社員同士教え合い、和気あいあい育ち合う、その中で信頼と絆で結ばれ、結束力ある組織、これが私の出した答えでした。
自分の答えがはっきりした時、彼と一週間くらい話し合ったでしょうか。自分はどんな会社にしていきたいか、彼の影響で他の社員がどう感じているかを伝えのです。結局、想いは伝わらず、袂を分かつことになりました。私の経営勉強不足により、無念の表情で辞表を提出してきた日のことは、一生忘れません。
■「造花」の経営指針
経営指針は毎年成文化し発表していましたが、それまでの内容は、社訓・時代背景・財務・計画など、「事実」しか語っておらず、決定的な欠点に気付きました。それは、誰の顔もまったく見えてこないということです。誰のための、何の経営指針なのか、誰の顔も見えない以上、社員にとっても他人事になるのは当然。植物で例えると土づくりを行わず、木に造花を挿し、さも育っているかのように見せていたのが私の経営指針書だったのです。
しかし、土作りは非公式の場で培われていたのでした。当時の営業課長が会社の雰囲気を和ませ、自然体の本音で語り合える土壌を作り、社員同士、現場の困りごとを何でも共有し、助け合う中で、皆強固な結束力と絆で結ばれていたのです。
■自主性を発揮してもらうためには
ではそのうえで、社員たちに更なる自主性を発揮のため何をしていくか考え、思い切って組織の風土改革をやろうと決意しました。
2019年に取り組んだのが、役職呼称の禁止です。もう一つは自己開示の一言朝礼の開始でした。2020年には、広島県働き方改革の認証を取得しました。2021年、ひろしま経営指針塾に参加し、理念も変えることにしました。「居室内で過ごす皆さまに安全・快適を提供する快適空間創造会社を目覚します」です。
めざしたのは、社長の判断抜きで、どんどん現場で考えて実行して欲しいということでした。理念に照らしてどうかが判断基準です。最近は、社員からほとんど現場相談の声は聞かなくなりました。これが本当の経営理念の浸透なのだと思います。
テーマである「社員の力を引き出してくれたものとは」に対する、私の答えは「一人の勇気」です。弱い立場の人への対応に、人間の性根の差が出るんだと痛感しています。社員を本気で幸せにしたいなら、「自分の恥」など些末なこと。驕らず、丁寧に傾聴し、自分を戒めながらこれからも経営していきたいと思います。
記:事務局 木下