「どん底が光を放つ! ~絶望からはじまった同友会体現経営~」備北特別地区会11月例会
報告者:(有)広島ピーエス 代表取締役 宮原 和樹 氏(東広島)
経営理念
・私たちは、搬送に関わる事について、時代のニーズを読み取り、お客様の課題解決を支援し 満足度の向上に貢献します。
・私たちは、お客様と共に喜びを共有できる職場創りを目指します。
・私たちは、創造的に仕事に取り組み、達成感、満足感を追求します。
・私たちは、省エネルギー化、省資源化を目指しSDGs事業に取り組みます。
■宇宙人が来た
私は、2007年に26歳で広島県に戻りました。父がガンになり会社を継ぐためでした。東京のビジネスは魅力的でしたがこれも運命でした。広島ピーエスには、専務として入社。製造業の基本的な事を知ることから始まり、中国へ実習生を採用しに行ったり、ビジネスフェアに出展したりと総務的な仕事をしていました。売上の8割は自動車部品の加工請負、営業活動はありませんでした。
当時のスタッフは、「宇宙人が来た」「ようわからん息子が来た」「こいつ仕事はできるんか」という目で、私の事を見ていたようです。
■どん底の日々へ
しかし入社から2年後、2009年にリーマンショックが起きた頃から大変な苦労が待ち構えていました。
仕事が激減し営業活動を始めました。当時、売上の8割以上を一社に依存。利益も厳しく他の取引先を探しました。
弊社のできる事は部品の組付け加工と溶接。請負加工はどれも納期も単価も厳しく、お客さんの言葉も荒い。とても辛い営業でした。
「会社に力が無い」「お金がない」「経営力が無い」と壁にぶち当たりながら頑張っていました。
2011年6月期には売上高3億8600万円に伸ばしていましたが、増収減益・繰越欠損。翌年は減収と、色々やってはいるが結果の出ない30歳新米専務。お付き合いのある金融機関全てから融資を断られ、このままでは従業員に払う給料も工面できない。
■同友会の学びを実践
そんな時、同友会の例会を思い出します。例会で「手形を現金でもらう」と報告した会員がいました。私は急いで、手形払いになっていた仕事を何とか現金でもらえるようお願いしに行きました。お客さんは、二つ返事で承諾してくれました。
また粘り強い私の性格が災いし「倒産しそう」「助けてくれ」と言えていませんでしたが、先輩経営者に告白。「何で早く言わなかったの」と、2週間後には仕事を回してくれました。リーマンショックの最中、仕事が無い中でした。今でも本当に感謝しています。
■立ち上がるために!
当時、経営の相談に乗ってくれていた社長の知り合いから「この決算書で再建できる可能性は1%。再建できたら奇跡だ」と言われました。その時、経営者は従業員を背負い一歩も引きさがる事ができない。覚悟を持つのが社長であると受け入れました。
早速、同友会入会当時から活用している「経営指針ワンシート」に経営陣にも記入してもらい意思統一を図りました。我が社がしなければいけない事は、日々の仕事で利益を出し、お金が出て行かないように、会社に留める作業でした。
そしてもう一つは稼ぎ方。実力に応じて、受注できる範囲で、しっかりと見積書に利益を載せる事をしました。利益が出るものを多くやる。大事なのはお客様への声掛け「ご予算は?」です。
■経営ワンシートで生き残る
2013年には父が亡くなります。代表になり、もう一度、同友会の本質である経営理念に戻る必要を感じました。社員を巻き込み、自社の強みである「モノづくりプロジェクトチーム」を作って挑戦しました。
気が付けば債務超過は2015年に解消。売上は3億6000万円、5年連続で黒字を達成していました。
そして現在、2021年は11年ぶりの赤字でした。3000万円の赤字、内部留保は6,000万円から3,000万円へ減少。しかし雇用調整助成金を活用し、雇用を維持しました。2022年度は、雇用を維持することができたので、過去最高売上を予定、内部留保も1億円を目指しています。
悲劇を繰り返さないで済んでいるのは「経営指針ワンシート」を基にした「利益を出し、お金は外に出さない経営」を徹底してきているからだと思っています。