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2021.12.21

経営フォーラム2021 第5分科会 「今だから問う、経営指針書はなぜ必要なのか!! ~共に理解し、より良い人間関係を築く~」

報告者:宮岡睦尚氏 (㈱エムエイチ 代表取締役【東広島支部】)

■コロナ禍で売り上げは激減

 社会に出てからいろいろありました。人生経歴については後に譲って、まず現状をお話しします。
 現在の、和食の「華ごころ」というお店で独立したのは2009年1月です。途中、仕出しに参入し、お店を移転し、売り上げは順調に伸びてきました。社員の働く環境をしっかりさせるために2019年に法人成りしました。
 ところが新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、売り上げは激減。たまたま着手していたフランチャイズの宅配弁当がいくらか売り上げを支えてくれて助かっています。

■経営指針はなぜ必要か

 同友会には2017年に入会しました。経営者の知り合いができ、お客さんが増えたらいいなというくらいの軽い気持ちでした。
 入会当初はあまり参加していませんでした。地区会の役員になり、勧められて経営労働委員会の勉強会に参加し、「売上比率はどうなっていますか?」とか、あまり考えたことがないことを質問されてショックを受けました。
 我流で経営理念は作成していましたが、経営指針という言葉も知らず、経営方針や計画はありませんでした。経営指針ワンシートの勉強会や経営基礎講座に参加し、経営指針の作成に取り組みました。
 経営指針を作ろうと思った理由は、
・経営理念は作ったがその活用方法がわからなかった。
・自分が現場にいない時に決まり事や方向性を正すものが欲しかった。
・店長や次世代の人が困ると思った。
 経営指針の内容がある程度できた時にまわりの会員から「せっかくそこまで作ったのなら社内で発表したら」と言われ、さっそく発表しました。それが2021年4月のことです。
 社員は、最初は警戒していましたが、内容が、私がいつも言っていることやっていることだったので、すんなりと受け入れてくれました。

■高校の新卒を採用

 地区会のお役は求人社員教育委員でしたので、「高校の先生方との懇談会」に参加しました。そのご縁である高校の進路指導の講演会に同友会の役員が招かれ、付き添いで参加しました。講演のあと、校長先生から、飲食業に就職希望の子がいるが面倒を見てくれないかと頼まれ、引き受けることになりました。
 高校の新卒を採用したことで大きな変化が起こりました。遅刻するクセのある先輩社員がおり、あの手この手でやっても遅刻がなおらなかったのですが、後輩ができたことにより遅刻しなくなりました。

■人間性が一番大事

 私の人育ての考えは、料理の腕とか接客とか、仕事をしていくための技能も大事ですが、なによりも人間性が一番大事と思っています。
 また、社員が喜んで仕事をしていてこそ、お客さんを喜ばせることができます。
 良い人間関係を作るために、自分がやられて嫌なことは人にやらない。自分が与えられて良かったことは思いっきり与える。そう心がけています。
 同友会の「労使見解」にもありますが、経営者と社員の関係は、信用信頼できる最強のパートナーであり、認め合い助け合いであると考えます。
 経営者は社員に活躍の場を与え、手柄を立てさせてやらないと人は成長しないし、ついてきません。

■独立、廃業、自己破産

 高校を卒業する時は、なにがしたいかとか深く考えず、大手運送会社に就職しました。
 元々は料理とかに興味がありませんでしたが、ある居酒屋のオーナーに魅力を感じ、こんな人になりたいと思って23歳の時にその居酒屋に就職しました。その居酒屋は勢いがあり、どんどん店舗を広げていきました。その中で仕事を覚え、店長などもやらせてもらいました。
 ところが、その居酒屋が、売り上げが低迷するようになりました。私が以前店長をつとめたあるお店を閉店することになり、それならばとオーナーと話をして、その店舗を借りて独立することになりました。
 焼肉のお店でしたが、私がやるようになって売り上げはV字回復しました。ところが貸主であるオーナーの事業のほうがさらに悪くなり、理不尽な家賃の値上げを要求され、腹立ちまぎれに焼き肉店をやめることにしました。独立した翌年のことです。
 若気の至りで廃業したものの、住宅ローンと独立した時の借金があったのに収入がなくなったため、自己破産するに至りました。離婚もしてしまいました。独立して1年足らずで天から地へ落ちた心境でした。33歳の時でした。
 その後、魚屋さんで働いたり、熊野のおか半というお店で働いたりしました。

■師匠との出会い

 そのころ、大下さんという人から「店を出すから一緒にやろう」と誘われました。この方は、私が以前つとめていた居酒屋で働いていました。日本調理士協会師範という肩書を持ち、腕が立ち、なんでも相談できる気さくな人柄で、兄貴のように思っていました。
 新しいお店は華ごころという店名でした。一緒に働くようになった時、「大下流包丁道は人間性が第一である」と言われました。
 当時の私は、できの悪い人間でした。仕事は一所懸命やるが、自分はできると自信過剰で世間知らず、失敗したらごまかす、和食の基本も知らないのに知ったふりをする、教えてくださいと素直に言えない行儀の悪い人間でした。大下さんはそんな私に根気よく接してくれました。

■死んでいたかもしれない

 そんな時に持病の蓄膿症が悪化し、病院に行ったところ、即入院、即手術、治る保証はないと言われました。手術は成功しましたが、死んでいたかもしれないと思いながら病院で過ごすうちに、命の尊さや周囲のみなさんの有り難さを痛感しました。
 病気とはいえ3か月もお店を休んだのに、大下さんは退院した私を暖かく迎えてくれました。

■逃げない程度に悟らせるように

 大下さんは行儀の悪い私に対し、極力怒らず、逃げない程度に、悟らせるように、楽しく、根気よく、接してくれました。もし、頭ごなしに言われたら、たぶん辞めていたと思います。
 ある時、祝いの席の料理の演出を任され、それまでは変なプライドが邪魔して人前でやらなかったのですが、盗み見した技の真似をして披露してみました。大下さんから「お前、見ん間に成長しとんじゃの」と認めてもらい、ほめられた自分が嬉しくて、だんだん心を開くようになりました。

■素直だと気持ちがいい

 大下さんの下に私の兄弟子がおり、素直な、報連相をきちんとやる人でした。その姿を見るうち自分もそうしようと思うようになり、素直になろうと覚悟した瞬間がありました。
 言い訳しない、ごまかさない、失敗したら報連相する、わからないことは聞く、そう決めました。そうすると、後ろめたくない、嘘も隠しもない、逃げることもない、素直とはこんなに気持ちがいいのかと思いました。
 「宮岡流三か条」は師匠から教わったことです。「挨拶 返事 笑顔」は相手を気持ちよくさせること。「素直 誠実 本気」は自分の本分を全うすること。そのためには自分との闘いがあります。「報告 連絡 相談」は信用信頼を得るためのものです。

■華ごころは絶対つぶさない

 華ごころに入って5年が過ぎたころ、師匠から「お前なら華ごころを譲っちゃるぞ」と言われ、涙が出るほど嬉しかったです。40歳の時、華ごころは絶対つぶさないという覚悟をもって2009年に再び独立しました。
 社員教育の基本は、「経営者が手本である」ということ。経営者自らが覚悟を決め、自らが仁義を通すことだと思います。「仁」は物や人を大切にする「博愛」です。「義」は筋道を正し、正しい道を正しく歩むことです。

【会社概要】
従業員数‥正社員4名 パートアルバイト25名
事業内容‥華ごころ(海鮮・炭焼・寿司・仕出し)、宅配弁当
【経営理念】私たちは食を通じて「元気と笑顔と喜び」を提供し続けます。