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2021.12.21

経営フォーラム2021 第6分科会 「会社や社員の成長は経営者の姿勢次第 ~外部環境?いや、問題は経営者です~]

報告者:映クラ㈱ 代表取締役  山西 健三 氏(福山支部)

■フランス語のエクラン

 わが社は1979年に私の父が創業しました。社名はフランス語のエクラン(ecran)に由来し、映像を映す銀幕という意味が転じて、社員それぞれの夢や目標を形にしてほしいという思いが込められています。多店舗展開のメリットは、一つの成功や失敗を全店舗で共有できることです。
 経営理念の全社的な共有が大切だと考えています。経営理念の共有は、入社式でもしています。それもあって毎年4月1日は、全社的に期待に胸膨らませています。ところが2020年の4月は、保健所からの電話で、その雰囲気が一変しました。わが社の飲食店舗においてコロナの濃厚接触者が出たのです。  

■入社して叩き込まれた愛社精神

 さて、私は2005年4月に映クラに入社しました。入社式後、父である社長から「これからは社長と社員だ」と告げられ、公私混同をやめました。
 社会人生活は、車の買取りをする部署から始まりました。当時の上司から「仕事のことを24時間考えろ」と仕事に対する考え方・姿勢を教えられました。
 入社1年目の私は、ポンコツ営業マンでした。電話に出れば「上司に代われ」と言われました。上司からは「お前が電話に出ると取引先の感じが悪くなる。電話に出なくていい」と怒られました。最初の半年間は、結果が出ていない原因は自分にある、と上司の教えを噛みしめる毎日でした。
 その後、徐々に成績は上がりました。年間五千時間というキーワードを耳にし、素直に実行したからです。入社してすぐに取締役になっていたので、可能だった働き方と言えます。仕事に全集中した私は、成績向上とともに病院にも運ばれました。それでも仕事のことを考え続けました。
 時は流れ2011年、私は社長の友人が経営するパン屋さんで働いていました。きっかけは「ベーカリーやってみよう」の社長の一声でした。当時、わが社にはパン作りのノウハウはなく、戻ったら責任者になる前提で、私が修行に出されたのでした。
 2012年3月、新規事業のベーカリー部門がスタートしました。私は結果を出すことを一番に考え、めちゃめちゃ厳しいリーダーになっていきました。
 2014四年、私は2店舗の統括として、商品のクオリティ、売上、利益の追求と向き合っていました。
 メロンパン事件を始め、社員の考えや発言の理由を聞かないまま「文句を言う前に会社が求めることを形にしてください」と会話を終わらせていました。当時の私には社員が前向きになれる関わり方はできませんでした。結果、スタート時の正社員は、全員2年以内に辞めていました。
 こんな私でもこのままじゃいけない、と考えるようになりました。社員旅行を使ったり、待遇を見直したりして働く環境の改善を試みました。しかし、私の尺度で行った結果、何も変わりませんでした。
 入社して10年が経った頃の私は、ただ結果を求め、退職者が出ても、考え方の違いを受け入れることはありませんでした。
 そんなある日、社長交代が告げられました。

■父から言われた突然の代表交代

 2014年、社長になったものの、社長の責務が分かりませんでした。会長からは「もっといろんな人に会ってこい」とアドバイスをもらいました。そして私を変えてくれた出来事がありました。
 一つ目は、社長として最初の仕事になった社員全員との個人面談です。管理職の社員から「赤字店舗の閉店をしなかったのはなぜか。つけを払っているのは社員ではないか」と指摘されました。これがきっかけで閉店の決断は社長の仕事だと自覚しました。
 二つ目は、経営理念に一緒に働く仲間の幸せを入れています。個人面談を通して社員それぞれの幸せを具体的にイメージできるようになりました。社員から「会社のおかげです」と言われて嬉しいと感じる自分にも気がつきました。
 三つ目は、取引先との懇親を深める感謝の集いです。社長になる前は自分のことしか考えておらず、嫌々参加していました。しかし、社長になり取引先や他の取締役の言葉から会長や映クラとの思い出話、これからへの期待の言葉が聞こえてきました。社員含め、取引先の方も一緒に働く仲間だと気がつきました。

■幽霊会員だった同友会へ参加

 この頃会長から「同友会の青年部に入っていたよな?行けばいいじゃん。ついでに地区会もよろしく」と言われ、同友会も承継しました。
 初めての体験報告は、2016年に青年部で発表しました。この時、しぶしぶ引き受けた報告テーマは「良い会社とは」。それが思いもよらぬ気づきを得ることになりました。
 報告の準備中に先輩から「結局親の引いたレールの上を走っているだけだろ」と言われました。自分は責任を果たしていると思っていたので、あまり気にしませんでした。しかし報告をつくる中で、取締役会の皆が「社長を社長にするのは私たちだ」と言ってくれました。その言葉を聞いて、ポンコツの私を誰かが支えてくれていたことに気がつきました。社員に自分の考えを押し付けていたことを反省しました。経営者と社員は対等な存在で、ただ役割が違うだけだと気づかされました。
 「レールの~」と発言した先輩の意図とは違うかもしれませんが、わが社は、私一人がレールの上を走っているのではなく、社員一人一人が目標とやりがいを抱えて、皆で経営理念の実現をめざしてレールの上を走っていました。良い会社とは、働く皆にとって良い会社だと考えが変わりました。
 2019年に青年部会長になりました。業績は私が社長になってから最高の結果になりそうでした。  

■新型コロナウイルスによる経営危機

 2020年、わが社は期首の5月を迎えて早々に、年間の予算計画を見直すことになりました。飲食部門の売り上げが半分になった場合、収支のバランスはどうなるのか。このことを同友会で話したら、カチンとすることを言われました。けれど、コロナ禍で売上を落とす会社にしていたのは私です。なにくそという気持ちで、打てる手は全て打ちました。
 それでも売上減はすぐにやってきました。その中で、福山駅にあった居酒屋にも営業自粛の要請がありました。この店舗は6月に判断し9月に閉店を実行しました。社員は近隣の店舗に移動してもらいました。この空き店舗を今後どうして行くのか。役員の意見が割れました。私自身、最初はキャッシュの維持を考えていました。しかし経営会議を重ねる中で「業態変更は雇用の拡大はもちろん、近隣の飲食店にも明るいニュースになるのでは」といった前向きな意見が出てきました。方向性が決まり、11月には新店舗をオープンさせました。業態転換を期に客層が広がり、テイクアウトとデリバリーが伸びた事で業績はすぐに回復しました。フランチャイズのオーナー会議でも、好事例として紹介されました。
 コロナ禍に対応した取り組みが進み2020年のわが社は、昨対で減収したものの黒字で決算できました。

■私の責務

 2020年の業績は、刻一刻と変化するお客様のニーズに対して、管理職は「解決策は一つではない。想定外が起きても何とかしていこう」。役員は「強い会社とは生き残る会社だ」と共通認識が持てた結果です。
 今後もコロナ禍の様な未曾有の出来事は頻繁に起こると思っています。これまで以上に数字を意識していきます。赤字店舗は黒字化させたいし、ただの黒字ではなく利益率や給与の伸び幅も大事にしたいです。どんな状況でも、社員に「映クラ大丈夫ですか?」と言わせたくないのです。
 2021年は、「一人一人の熱意と行動力を通じてチーム一丸で活気ある明日をつくろう」のスローガンを掲げています。どんな不況も逆境も乗り越えていける主体的な組織に変われるかは、トップの経営姿勢しだいだと思っています。そして、社員と一緒なら経営者一人では出せない限界が出せるはずです。
 わが子たちに誇れる次代をつくるべく、私自身が成長し続けます。わが社は、経営を維持し発展させていきます。

【会社概要】
従業員数‥正社員140名 パートアルバイト430名
事業内容‥飲食店の営業、自動車の買取販売、パンの製造販売、トレーディングカードの買取販売、書籍の販売
【経営理念】  お客様の立場になって、お客様の喜びを常に考え  働く仲間が幸せ感を味わえる会社を目指します