活動レポート
  • ホーム
  • >活動
  • >「企業の社会的役割と責任の自覚」尾道支部12月支部例会報告要旨
2021.01.22

「企業の社会的役割と責任の自覚」尾道支部12月支部例会報告要旨

【報告者】NPO法人シネマ尾道 代表理事 河本 清順  氏

 シネマ尾道は、尾道市で唯一の映画館です。2008年に開館し、現在13年目を迎えます。
 私の映画との出会いは、京都で過ごした学生時代です。尾道で観ていたメジャー系の映画とは違う、お洒落なミニシアター系の映画の魅力にはまっていったことです。
 尾道の映画産業は、1950年代、因島だけで映画館が9館あったといわれるほど盛んでした。時代と共に映画館はなくなり、2001年にはゼロになりました。
 その頃社会人で、映画にはまっていた私は、なんとか尾道に映画館を復活できないかという思いに駆られていました。当時20代、映画館のつくり方なんか知りません。働きながら、全国のミニシアターを巡って、経営のノウハウを学びました。その当時、人口が30万人ないと1つの映画館は成り立たないと言われ、じゃあ尾道の人達は映画を観ることができないと、くやしい思いをしました。けれど、人口15万人の街で経営が成立している映画館を見つけました。私にもできる。小さな街で映画館をする方法を知ってしまったからには、やるしかないと決心しました。

■ブレない思い

 尾道に帰郷した私は、2004年に、尾道に映画館をつくる会を発足させました。
 大きなスクリーンで映画を観る楽しさを思い出してほしいと思い、しまなみ交流館での上映会や、映画館改装のための資金集めを始めました。この時に大林監督に出会いました。話し始めて二時間、そこまで思いがあるなら、と言って私の背中を押してくれました。
 さらにやる気になった私は、資金が足りていない段階で工事契約書に判を押しました。営業許可も下りていないのに、オープンの日も決めました。映写機が燃えるなどピンチは絶えませんでしたが、私はブレませんでした。営業許可も無事に下りて、2008年10月18日、予定通りにオープンしました。

■尾道に映画館がある意味

 現在、シネマ尾道は、社員、アルバイト、ボランティアスタッフの計15で運営しています。上映作品は、年間約140本です。経営が安定したのは三年くらい前からです。
 オープン後、4~5年は、お客様が増えず、閉館のピンチが隣にありました。どうしたものかと映画業界を調べると、世界はデジタル映写機が主流で、高額の設備投資の必要に迫られました。これを理由に閉館も考えました。ところが、尾道が閉館したら全国のミニシアターや映画関係者にどれだけ影響があるのか分からないのか、と映画館の先輩経営者から叱咤激励をいただきました。東京の映画館が口火を切ってくださり、クラウドファンディングによる募金が全国から集まりました。メディアでも取り上げていただき、デジタル映写機を手に入れました。

■映画文化を次世代へ

 こういうこともあり、映画館という場所は、街にとってどういう場所か考える様になりました。
 ふと客席を見たとき、映画鑑賞者の高齢化に気がつきました。未来の映画文化を担う人材を育てなければと思いました。
 オープン当時からの取組みでは、次世代育成のための映画ワークショップを子ども対象に行っています。また、2015年からは、子ども達と若きクリエイターで、年1回、こども映画制作ワークショップをしています。今年はコロナで開催できなかったことが残念です。
 尾道にあこがれて、たくさんの映画人が来てくれています。突然、俳優さんが遊びに来たり、あるときは俳優さんがシネマ尾道の看板を子ども達と作ってトークショーをしたり。映画監督さんが集結したり(笑)。
 私の役割は映画を上映するだけでなく、映画人の方に尾道の魅力を伝えることもあります。発信力のある彼らが尾道の魅力を発信したらどうでしょうか。地元企業とのコラボや、尾道市からの委託事業で映画資料館を盛り上げる仕事も大事にしています。尾道映画祭にも力を入れており、全国約100の映画祭の関係者とは、情報交換を盛んに行っています。
 今後の展望は、映画の街と呼ばれる尾道の新たなブランディングです。人々を癒す映画館を地域から無くしてはいけないと考えているからです。私は、映画の街、尾道の映画文化を次の世代へ導きます。