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2020.12.24

経営どーらむ2020第5分科会「 創業者に嫌われる勇気 事業承継編 ~さあどうする?  後継者が今すぐやるべき三つのこと」

報告者:㈱タテイシ広美社 代表取締役社長  立石良典 氏(尾道支部)

■第1章~わが社は情報伝達業

 本日は、嫌われる勇気、というテーマをいただきました。中小企業の後継者が、普段どんなことを考え、何に疑問を感じているのか、私自身の実体験をお話しします。
 まず、わが社の主な製品は、既存技術を使った一般看板から、新規技術を使ったLEDビジョンまで幅があります。加えて、実用的な道路標識から、エンターテイメント的なメーカー別の店頭看板もあります。
 業績は私が入社した2013年の年商が3億3千万円。そこから、弊社会長とすったもんだの末、意気投合。二人三脚で成長軌道に載り、2016年に年商10億を突破。直近2019年度の年商は12億円となりました。これまで対象としていなかったエリア・業界へのアプローチが功を奏しました。人口4万人の府中市から、最先端でクリエイティブな物作りに挑んでいます。

■第2章~今につながるサラリーマン時代の私

 私は愛知県出身の娘婿です。最初に就職した会社は鉄鋼大手で、転勤のため福山勤務になったことが広島県で暮らすきっかけになりました。
 私の実家は代々化粧品を販売し商店街にある家でした。父の代でドラッグストアに敗れ店をたたんだのですが、私は実父から将来就職するときは「中小企業に関わるな」と言い聞かされていました。だから真逆の大企業に就職したのです。しかし、安泰と思って入った大企業は、当時ゴーン・ショックと言われた鉄鋼各社の激しい価格競争に巻き込まれ、倒産の危機に瀕していました。新入社員のころ福山製鉄所に転勤を命じられたころの私の待遇は週休4日。初任給は提示額の半分、賞与ゼロでした。しかし、財務・経理担当部署で勤務していた私は、黒字化のため合理化戦略策定や、決算書類整理に追われ土日も休み無し、昼夜問わずがむしゃらに働いていました。その後、なんとか落ち着き、私がようやく、東京本社に戻ることが決まったころに結婚しました。務めていた会社は辛い時期を越え、合併を経て今の姿になりました。合併の結果、市場占有率の高まりを得て、自動車業界に反撃を始めました。需要と供給のバランスが崩れ、鉄鋼業界の景気は一気に回復しました。おかげで給料は一気に増えましたが、大手では若い自分の努力にあまり影響しないことに疑問も感じていました。
 その頃、大手でも若手に裁量を任してもらえ、広告業界でもあり華やかな印象のあった大手印刷会社に転職しました。ところが、世の中そんなに甘くないものです。この転職で人生がゼロクリアされる辛い経験をしました。
 そこは、華やかな外見とは違い、戦国時代。先輩後輩は関係ない激しい競争社会で、みんなライバルでした。私は莫大な広告予算をかける自動車メーカーの営業担当を希望し、大きな宣伝広告費を奪い合うレッドオーシャンに身を投じました。仕事を取る為に常に自分のスキルを磨き、寝ずに提案書の修正を重ねる毎日でした。楽しそうに見えた大手といえども実力主義というのはこんなに厳しいのかと感じました。
 その後、5年間の上海駐在も経験させてもらいましたが、より一層今の会社経営に影響を与えることになりました。世界市場において、日本企業のやり方では、欧米外資系やアジア企業に勝てないことを知りました。ルールや仕組みづくりを1から見直し、チャレンジ精神旺盛な会社づくりを経験してきました。  

■第3章(前編)~㈱タテイシ広美社に入社

 入社後、自分をお手並み拝見のつもりで見られているように感じ、とてもプレッシャーでした。同時に、大企業と中小企業の大きなギャップに悩んだ時期でもありました。
 そのギャップは、会長との価値観の違いでもありました。私の中の3大ギャップは、「1、社員は家族」、「2、地元を大事に」、「3、経営者が先頭を切って頑張る」でした。
 1つ目は、同友会では、人を生かす経営と言います。これはその通りだと思います。一方で、ドライに社員間の競争を促すことが足りていないと感じました。これは大企業では当たり前でも中小企業ではタブーとされていました。いずれアジア諸国の企業と戦わなければならない中小企業も、ハングリー精神を養っておく必要があると感じています。アジア人社長の下、最低賃金で働く日本人が増えている現状から目を背けてはいけと思っています。  2つ目は、地元貢献の考え方です。広島県の企業は、外からみると、地元愛が強すぎ個性が強い印象があります。内需に拘らず、成長戦略の中心を関東など外に目を向けることで、東京のお客様やパートナー企業との親和性を高め、効率よく成長を促すことができます。また、外需で得た利益やノウハウを地元に還元することで、十二分に地元貢献できると考えています。
 3つ目は、自分よりも優秀な人材を採用すべきだと考えています。中小企業の組織は経営者ワンマンの文鎮型です。若くても実力が評価され組織を任せられるピラミッド型の体制を構築したいと思っています。

■第3章(後編)~ギャップは気づきへ

 入社当時、最初のころは色々一気にやりすぎていたと思います。社員の幸せは二の次だったと今だから気づく面もあります。
 社員に自分の考えを植え付けようとしていたとき「会長は逆のことを言っていましたよ」と社員から言われました。続けて「どっちを信じればいいですか?」と聞かれるほど社内は混乱した時期もありました。私は、会長と方向性をすり合わせないと、と焦っていましたが、会長は大きな視点で判断を下し、「迷ったら社長の言う事を聞きなさい」と裏で諭してくれました。好き勝手やっていた私から社員が離れないよう、つなぎとめるとともに、会社全体が円滑に前に進むよう、大局をみて裏で手を打ってくれていたのです。当時の自分を今は恥じています。「社長にはついていけない」と言って辞めていった社員もいました。これは今思えば残念でなりません。もう一度その社員に会って謝りたいと思うことがあります。いくら自分の主張が正しくても、社員に伝わっていなければ意味がありません。また、自分の物差しで相手を計っても意味がないということも知りました。
 今、会長には毎日のように相談を投げかけています。瞬間的に考え方の違いは埋まらないときもありますが、時間をかけて何度も会長の言葉を腹落ちするまでじっくり考えてみると、それが正しいと気付くことが多いです。

■第4章~今すぐやるべきこと

 今、変革しないと、チャンスはこの先ないと考えています。
 まず、私にとって会長は見習うべき存在ですが、真似をするだけでは比較され、喧嘩の基になります。周りに聞きながら、自分のキャラクターで逃げずに、追いつくまで必死に経営する努力を続けています。
 次に、創業からの文化を生かしながら他文化を積極的に取り入れていきます。そのためのハイクラス人材の採用です。採用活動は最大の投資だと思います。コロナ禍もあり優秀な人材が流動的な今、会社の屋台骨となる優秀な人財を採用するチャンスだと考えます。
 最後に、不況だからこそ、目的に向かってなりふり構わぬスピード感でチャレンジしていきます。中小企業の強みは、経営者から製造ラインまでが近いことです。すぐ絵を描き、形にできます。わが社のアクリルパーテーションは、動けずにいる大企業を横目に、一気にこの部分のシェアを取るという意思決定の現れでした。逆張りの発想です。競合他社が止まるなか、3月~5月、わが社はフル稼働していました。
 スピード感に加えて、俯瞰の目で見ることも大事だと思います。春先、コロナ禍で市場は、ブルーオーシャンに様変わりしていました。わが社で言えば、今まさに、飛沫感染予防アクリルや高速自動検温システム等の新規事業のシェアを伸ばすチャンスだと捉えたのです。近いうちに大手は力を戻し、わが社は退却を迫られたとしても、この経験で得たシェアと利益が、新しいビジネスへの足掛かりとなるはずです。
 コロナ禍において、コロナ対策製品は、社会の変化に対応したわが社の新しい取り組みになりました。看板以外の仕事が増え、開発の継続が不可欠になりました。フィールドセールスから、WEB販売事業の確立が急務の課題になりました。つまり内勤営業の強化です。この分野は、言語処理能力の高い女性の活躍が期待できます。時代にあった技術セールスができるはずです。
 今、ポストコロナに向け、社内の体制を整えています。今やっておけば先駆者になれると考えているからです。パート・アルバイト含めて全社員80名と一緒に情報伝達業の生き残りをかけて、次のステージに進みます。