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2019.12.26

第1分科会 地域づくり「 地域を元気にする産業政策とは ~内発的産業振興の視点から~」

報告者 広島修道大学 経済科学部 教授 副学長  太田耕史郎 氏

 第一分科会のテーマは「地域づくり」でした。
 太田先生の講演概要をご紹介します。

都市の魅力が若者獲得のカギ

 日本の人口は2011年からずっと、右肩下がりです。
 市町村別の人口移動(2011年-2015年)を見ると、転出超過となる市町村の割合は全体で76.3%です。地域(8地域)別では、北海道(91.6%)、四国(83.2%)、中国(81.3%)と続きます。
 一方、転入超過は、東京23区(と東京都)の279,264人に続き、大阪市(と大阪府)、名古屋市(と愛知県)で、大都市圏への人口移動は、依然進行しています。
 東京圏への転入超過の内訳は、総務省「住民基本台帳人口移動報告(2010年-2017年)」を見ると、10代後半から20代の若者です。大学等への進学や就職が理由です。このため東京は毎年若者の転入があり、活気が維持されています。逆に地方は、活気が失われ続けていると言えます。
 増田寛也氏の著書「地方消滅(2014年)」では、このような背景と出生率の低下が相まって、地方の大半の市町村が、2010年から2040年に「消滅可能」だと指摘されています。若者流出の原因は有効求人倍率にあり、つまり魅力的な仕事が地方都市に無いとしています。
 この打開策として、増田氏は地方中核都市のダム機能に注目しています。地方の中山間地域を川上に例え、大都市に流出する若者を、中間地点の地方中核都市で受け止めるという考えです。札幌市や福岡市などは、転入超過で、ダム機能が高度に果たされている例として紹介されています。
 このことから地方活性化に必要な産業政策は、ダム機能発揮を念頭に、若者が働きたいと思える雇用機会の創出が必要だということになります。
 では、米国の都市を例に考えていきます。

デトロイトの衰退

 デトロイトは「ビッグ3」に代表される自動車の都市です。
 19世紀半ば、自動車工場の労働者は、マイホームを持ち、子どもを大学に行かせるなど、豊かな生活を手にしていました。人口は高賃金を求めて南部の黒人が流入し約184万人。全米4位を記録しました。
 米国の自動車産業の発展は、Ford T型車が原点と言われています。大量生産と徹底した分業で効率化が図られました。分業により専門的な技術がない労働者も自動車工場での就業が可能となりました。
 しかし、その後、デトロイトは衰退に向かうこととなります。衰退の要因の1つ目は自動車産業の低迷です。産業の発展は、労働者の賃金や年金への高い要求を生み出しました。企業は賃金の安い郊外への工場移転と同時に、オートメーションを採用し対応しました。これにより、13万人の製造職が失われます。黒人の就業環境の悪化は人種暴動につながり、白人の郊外への移動を加速させました。石油危機後は、コンパクトな日本車におされ、市場が縮小します。三社しかない業界は高度な寡占化が理由で、国外との競争力が低下していました。情報漏洩を恐れ、大学や部品メーカーとの共同研究はせず、人材育成は全て社内で行っていたことで技術革新が遅れていました。
 衰退の要因の2つ目は政策の在り方です。デトロイト初の黒人市長のC.ヤング(任期:1974-1994)は雇用維持の政策を掲げます。GMの新工場を建設するために土地収用、これの安価な払下げや、財産減税措置、工場への交通アクセスの整備を実施します。GMは6千名の雇用を約束しましたが、33千名に留まりました。雇用創出にかかった総コストを雇用数で割ると、一人あたり14万ドルと算出されます。この産業政策は成功と言えるでしょうか。
 衰退の要因の3つ目は、人材の流出です。デトロイト市には自動車に代わる魅力的な産業が育っていませんでした。加えて、財政破綻で公務員が削減され、治安は全米最悪に。教育水準は低下し子どもの学力低下につながりました。
 衰退の要因の4つ目は、巨大な自動車産業の縮小により、他産業が市場拡大の望める他地域へ出ていったことです。
 ここで働き、暮らしたいと思える魅力がなくなったのです。

ピッツバーグの復活

 ピッツバーグは鉄鋼王、A.カーネギーが知られる、鉄鋼業で発展した都市です。1910年、U.Sスチールは、全米の鉄鋼生産の6割強を占める巨大企業に成長していました。同時に大気汚染による深刻な健康被害と、人口流出・企業移転の危機を生み出しました。
 この危機に、1943年、R.K.メロン(銀行頭取)を中心にした企業家が「Allegheny Conference on Community Devlm(コミュニティ開発に関するアレゲニー会議)」を設立します。1946年にD.ローレンスが市長に就任すると、経済界と行政が一緒になって大気汚染対策や中心市街地の再開発に取り掛かります。この再開発事業は企業移転を思い止まらせたことにより成功事例だと言われています。
 1977年に市長に就任したR.カリジュリは、NGOなどに権限をあたえ郊外の再開発を行います。ピッツバーグの中心部は経済活動がしやすく、郊外は住みやすい都市だと評判が高まります。
 しかしながら日本からの鉄鋼の大量輸入により1981-83年の間に10万人以上の製造職が失われ、鉄鋼業は実質的に消滅してしまいました。また、1970年に15社あった「Fortune500」企業は2000年には4社に減少しました。
 しかし、2012年には、都市圏でハイテク企業1600社とバイオテック企業500社が創設されています。
 この新産業誕生の背景に、2つの大学の影響があります。トップ同士が、大学の強みをさらに強くし、それをベースに地域貢献することを確認しているのです。
 カーネギーメロン大学は、コンピューター科学とロボット工学が強みです。ロボット工学では30の新設企業を輩出し、2千名の雇用が生まれ、産業として成長しています。
 次にピッツバーグ大学です。医療・健康科学が強みです。優秀な人材を外から採用し、チームを作り、最先端の研究を進めています。附属病院を拡充させ、現在、143億ドルの営業収入、都市圏の医療分野で約20万人の従業者数にまで成長しています。
 両大学の発展は、実業家や慈善団体による寄付に支えられています。ピッツバーグの財団は、地元に対する寄付額が人口あたり全米1位です。地元を積極的に支援しているのです。
 自治体などは産業政策として、資金提供やインフラ整備の形で、大学から輩出された企業を支援しています。
 ピッツバーグの中位世帯所得は約44,000ドルです。デトロイトの約27,800ドルと比べると、ピッツバーグは単に産業構造を変えたのではなく、お金のある産業とそこで働ける人材を育成することに成功したことが見えてきます。

地域づくりは文化の醸成から

 日本では地域産業政策として、工場誘致が中心となっています。この政策は、例えば、誘致企業が地元の企業と取引をする、地元の大学と共同研究をするなどして、地元全体の技術や製品開発機能が向上して初めて成功と言えます。一方、地元企業には、誘致された企業と取引できるレベルが求められます。
 地域振興には、人材育成が欠かせません。大学に対する支援も重要です。また、若者が地元に留まって生活したいと思える住環境の整備も欠かせません。
 米国では、地域住民と産業界の合意形成が上手くできた地域が発展しています。
 前途のメロン氏は、企業家の地域に対する責任について「自社に直接の影響がなくても公共政策の形成に参加すること。地元の大学から我々の将来の労働者、専門家、管理者、リーダーが誕生する。だから公教育に興味を持とう」と考えを残しています。
 最後に、米国で「Business friendly Cities」が八都市選ばれています。その一つはオースティン。理由は「新しいアイデアを受け入れる文化がある」からです。
 広島から、企業家の皆さんによる、文化の醸成をお願いしたいと思います。