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2019.12.26

第2分科会 経営指針の成文化と実践 「『経営指針の成文化と実践』の段階的な取り組み ~知行合一期から社員共有期へ~]

報告者 亀井塗装㈱    代表取締役  亀井 太雅 氏
報告者 ㈲広島金具製作所 代表取締役  水ノ上貴史 氏

座長問題提起
㈱豊田工業所 代表取締役  豊田 克浩 氏

 私たちは、経営指針の成文化には、いくつかの段階があると考えています。
 まずは経営指針を成文化する。やがて言っている事とやっていることが合致するようになる。これが「知行合一期」です。
 次に社員さんに工夫をして伝え続け、社員さんが納得・理解できるようになる。これが「社員共有期」です。
 さらに取り組みを進めると、社員さんが自ら考えて動き、全社一丸の経営ができるようになる。これが「全社一丸期」です。
 経営指針を作ってから、毎年社員さんと共に見直しを行ったり、PDCAサイクルが回せるようになるまで、おおむね10年が必要になるようです。
 今日は各段階で何が起き、どう克服すべきかを、お2人の体験から考えます。

「経営指針成文化の取り組み開始から知行合一期へ」
亀井 太雅 氏

経営指針に取り組んだ思い

 わが社は住宅・機械・小物などの塗装業をしています。社員は八名です(パート含む)。
 私は旅行代理店に勤めていた折に、私の前の地区会長をされていた方と知り合い、父の経営する会社に移って悶々としているときに、その方の勧めで同友会に入会しました。
 当時の我社はリーマンショックのあおりで売上が大きくダウン。営業に駆け回り、お客様の紹介などもあって、何とか苦境をしのいでいる時期でした。そこで、自力で作った経営指針書を見直すために、「ひろしま経営指針塾」に参加し、指針書を改訂しました。
 その成果で、福山支部の「経営者大賞」の優秀賞をいただくことができました。

伝わらなかった思い

 作り上げた経営指針を社内で発表し、熱く語るのですが、全く社員が反応してくれません。面白くなく、はぶてて、社員と口をきかなくなってしまいました。
 実は、指針塾で「お前の経営方針はポエムだ」と言われ続けていました。つまり夢や思い(思想)だけで、自社の企業力分析ができておらず、外部環境対応策や社員への待遇改善策がなかったのです。
 社員にとっては「お前は先代の息子だから思いはあるんだろうが、それがどうした」という気持ちだったのだと思います。何より一度出したものをひっこめたことが、さらに無視に輪をかけました。

社員との対話を再開

 そんな中で、伝えるには、自分の人としての器(一生懸命さ、素直さ、正直さ、強引さ)を示すほかはないと思うようになりました。何くれとなく社員に近づいては、その声を聞くことに努めました。やがて、少しずつ耳を傾けてくれるようになりました。
 その時に気づいた事がいくつかあります。一つは、社員にとって最大のストレスは、具体的に決めてくれない事だということ。もう一つは、社員は完全な経営指針書など求めていなかったという事です。

今、取り組んでいる事

 以後、経営指針書を全面的に見直し、20ページを6ページに減らしました。心がけていることは、表現をシンプルにすること、最終的に何を達成しなければならないかを明確にすること、できないことは書かない事です。発表は1回30分にとどめます。5分間に全力を注ぎ、それを6回するという事です。早く決めて早く伝えることを主眼に、年2回の発表会を行っています。
 私が「知行合一」することで、ようやく社員さんも話を聞いてくれるようになりました。

「経営指針成文化の取り組み開始から社員共有期へ」
水ノ上 貴史 氏

苦境の中で考えたヒロカネ革新計画

 わが社は、建築金物製造業で、特に雨どい取付金具というニッチに取り組んでいます。社員は現在13名です。
 私は大学を卒業後、自動車部品メーカーに勤めたのち、父親の経営する会社に戻りました。当時の我社は、社員のほとんどが親族でした。バブル最盛期には年商も1億3千万円近くありました。ところがバブルが崩壊し、あっという間に売上が下がりました。
 そんな中、会社を何とかしたいと、「ヒロカネ革新計画」「ヒロカネ行動指針」を作成しました。もちろん、父である社長も、工場長である叔父も納得しません。私が社長になったらこうしたい、というものにすぎませんでした。

地区会長受諾が、経営指針の成文化のきっかけ

 いよいよ資金繰りも限界にきました。私の妻が他社に勤務していたので、妻が保証人になって、政策金融公庫から私の名前で借金をしました。ようやく私も経営にモノ言える立場になりました。そんなころに、税理士さんの勧めで同友会に入会しました。2011年のことです。
 入会後すぐに、福山支部の経営理念作成講座に参加し、理念を成文化しました。2年後には次期の地区会長に指名されますが、その折に「地区会長なら指針がないと」と言われて、丸山先生の指針セミナーを受講して、指針書を書き上げました。この時は常務でしたので、つくった指針書は机の中にとどまりました。翌年、社長に就任し、初めての指針発表を行いました。

大事にした情報共有

 この前後から、「ヒロカネ革新計画」にそって、少しずつ企業の整備に努めました。  リーマンショックで受注が減った時には、工場内の3Sに取り組みました。新たな投資をしないで、工場内の労働環境をよくするための工夫もしました。社員さんがいろいろ知恵を貸してくれました。
 大事にしたのは、情報の共有です。まず工程表を共有しました。次に、毎日短い日報を書いてもらい、それにコメントをつけて貼りだしました。これは、会の会合でどんなに帰りが遅くなっても、翌朝までに行います。その他の連絡事項も、コミュニケーションボードに掲示します。今は、無料のアプリケーションを使って、社内のモニターやスマホで共有しています。
 また、努力している方を正しく評価したいと、独自の評価制度を作るとともに、働き方改革にも積極的に対応を進めています。改訂した就業規則も、このアプリを使って共有しています。私のスケジュールも全部公開しています。

10年ビジョン、そしてこれから

 共同求人活動に参加し、特別支援学校の企業訪問も引き受けました。それが縁で、知的障害の方1名が入社しました。彼にどう接すればよいか、仕事を伝えればよいか、社員さんと相談しながら、取り組みました。それを機に、他者理解、チームワークづくりが進んできたと思います。
 将来の方向性を共有したいと、昨年、10年ビジョンを絵にしました。わが社の歴史と社員みんなのワクワクする思いが詰まっています。ようやく社員共有期から全社一丸期への足がかりができたと思います。
 まだまだ取り組みの最中ですが、ご参考になれば幸いです。