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2019.12.25

第7分科会 事業承継 「花の道はいばらの道、いける姿は生きる道 ~先代が作ってくれた強みを咲かせたい~」

報告者 ㈲フラワーショップはなよし 取締役副社長  原 さゆり 氏 (東広島支部)

【経営理念】
想いを花に。
幸せと感動の懸け橋となる。

運命の花束

 1974四年、フラワーショップはなよしは東広島市の八本松で先代(父)が母と二人で創業しました。先代と母は朝から晩まで働き詰めで、花屋なんてなりたくないと思っていました。私の夢はOLで、京都の呉服卸業で働いていました。3年程たったある日、はなよしに入社していた姉からお花が届いたんです。そのお花がすごくきれいで、ものすごくうれしかったのです。「私はお花が大好きだったんだ」と初めて気づきました。私にはこの道しかない、花屋の道に進もうと決意し広島に帰りました。

挫折と葛藤

 はなよしに入社後、初めてお客さんの前に立った時は緊張と不安ですごく手が震えました。コンテストにも出場しましたが1次審査も通らず、私はなんにもできない、もっと勉強しようと思った時、パニック障害になりました。
 さらに1年間で社員が2人も辞めました。一人はかわいがっていた社員で、応援する意味で送り出したのですが近所でお店を出すと言うのです。すごく悔しくて顔を見るのも嫌になっていました。もう一人は仕事ができる優秀な社員でしたが、仕事ができる分態度が悪く、徐々にエスカレートし、ある時、先代と口論になりました。「辞めてもらってもええんで」と先代は最終勧告を突き付けてしまい、怒って次の日から本当に来なくなってしまいました。

 夫(現 代表取締役)の入社

 残された社員も体調不良により休まざるをえなくなったので、社員は私1人だけになりました。そんな時、夫が手伝ってくれるようになりました。夫は違う職業についていましたが現状に悩んでいて、もし私と花屋をやったらもっと人生が良くなるかもしれないと思ったのだと思います。
 2012年、夫が入社を決めた時には全員が喜びました。一生懸命勉強をして今では私よりたくさんのお花を知っている、そんな人になりました。

社員との溝

 3年前から、市外へ出張し雑誌やホームページ用の花の撮影の仕事を受けるようになりました。「原さんともう少し仕事がしたい」と初めて仕事を認められた事がうれしくて喜んで引き受けました。私はこの仕事に集中するようになり、会社の雰囲気がすごく悪くなっていました。先代や母からも出張を反対され、喧嘩になるたび私は無視をして出張に行くようになりました。自分の事ばかりでこの時の状況を全く把握できておらず、どうしたらいいのか全くわかりませんでした。  

経営者の仕事に気づく

 そんな時、同友会に昨年入会しました。いろんな経営者の方と話してみると、実は問題だらけだった事に初めて気づき、どうにかしないと前に進めないと思いました。
 たとえばうちの近所でお店を始めた元社員をずっと許せないでいました。しかし、ある時同友会の先輩に「経営者は社員を一人前にする。それも経営者の仕事だ」と言われて私ははっとしました。私は自分が一番大事で、彼女の立場に立って考えることができていませんでした。スーッと胸のつかえが取れ、初めて彼女と色々な話ができました。そしてもう一人の仕事のできる社員。本当に会社をよくしようと思ったら、あの時はもっと話し合わないといけなかった事にも気づかされました。  

事業承継をするまで

 事業承継についても考え始めました。先代や母に伝えると喜んでくれましたが、どちらが社長になるのかという話になると、夫はどこか他人事で首を縦に振ってくれず、喧嘩になりました。
 しかし、またも私は誰かを変えようとしていたことに気が付きました。自分は変わってないのに、はなよしの事も知らないのに、どっちが社長になろうとか言っているのが間違えだ。もっとはなよしの事を知ろうと思い、先代や母に昔の話をたくさん聞いたり、経営指針ワンシートも作成しました。夫は最初はまったく興味を示しませんでしたが、私が一生懸命書いていると後ろから覗いていたので、興味があるんだなと思いました。夫ともっと話をしようと思い同友会で学んだ事を話したり、社員にも話をしました。
 ある時、夫と10年後に先代や母や社員達がいくつになりどうなっているか、そんな事から考えてみようと話をしました。突き詰めると二人のビジョンみたいなものが見えてきて、夢を語るようになった時、夫が「自分が社長になろうかな」と言いました。実はその時、夫が社長にならなければ、私がなろうと思うくらい覚悟を決めていました。なので私は幹部として支えることに決めました。  

会社が変わるには

 事業承継後も実情は全然変わっていませんでした。でも私たちはせっかく社長の代が変わったんだから変えたいと思いました。
 例えばお金を握っているのは絶対的なカリスマの母で、社員の采配等もすべて行っていました。さらにはなよしには3365日休みがなく、母は1週間に1日も休めていませんでした。私は同友会で学んだ事をすぐ実践したくて、ボードを作ってコミュニケーションの見える化を行いました。すると母がこれもまかせてみようと他の社員にも仕事をまかせやすくなり、休暇がとれるようになりました。
 次に古い社員に役職をつけましたが、何も変わりませんでした。そこで古い社員と相談し、八時半から朝礼を行う事に決めると、今までなかった事が不思議なぐらいみんなで仕事をするために必要不可欠なものになりました。
 また5Sを実行されているある会員企業に社員をつれて訪問した後、「片づけようや」と社員が言い始め、次の日から大きなごみ箱を持ってどんどん片づけはじめました。  

わが社の強み

 SWOT分析にも取り組み、新しく役を受けてもらった役員と幹部で初めて会議を行いました。すると、葬儀から結婚式まで幅広い仕事ができる、社長がこだわって花の仕入れをし、その花を社員全員が水揚げや徹底管理できるため生け花用の花材は地域でナンバーワンであることなどが強みとして挙げられました。
 また客層は60~80代が多く、45年間店があるので「母がここに来ていたからここの花をあげたい」と次の世代にも来てもらえるようになっている事に気づきました。
 さらにある社員はもっと出張に行っておいでと背中を押してくれました。
 先代は私達に事業承継するにあたり、自己資本比率が60%を超えていることが自慢なんだと言っていました。 自分たちが苦労した分、同じ苦労はさせたくないと頑張ったのだと思います。  

社員の夢・はなよしの夢

 今回社員全員に自分の夢とはなよしがどうあるべきか、どうありたいかを紙に書いてもらいました。多くの社員がこうやって一生懸命考えてくれているんです。すごいと思いました。
 「花の道」は生け花の550年続く伝統文化を次々と伝承していく事で、これを経営者である夫と幹部で支えるあって歩く経営の道。時には経営が上手くいかなくなる「いばらの道」だとしても社員とともに進んでいきたい。「いける姿」とは先代の姿で、先代が一生懸命花と向き合ってきた、その姿が私の中にあります。なのでそれを「生きる道」にしたいと思い、本日の報告のテーマとしました。  

私たちが咲かせる未来

 はなよしには最近まで経営理念はありませんでした。それでも45年続けてこられた理由は、お客様がはなよしを求めてくれていたからです。
 そのようなはなよしの強みは私たちがつくったのではなく、先代が耕して、種を植え、水をやり、つぼみが大きくなるために努力した結果です。私たちはこれを咲かせていく事が使命であり、次の世代に引き継いでくれる人を探していきたいと思っています。  私は本当にはなよしの事が大好きです。だからこそこれからもずっと続けられるように努力していきたいと思います。