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2019.04.15

安佐支部設立二〇周年記念行事 創業一九年ベンチャー企業の軌跡 ~トイレのない高架下+社員ゼロからの百億企業への成長~

 報告者:㈱デジアラホールディングス 代表取締役会長  有本哲也 氏(兵庫同友会)

  自社ではインターネットを使って、エクステリアを工事付きで販売する「エクスショップ」、庭をプランから工事まで一式行う「ガーデンプラス」という事業をしています。EC(電子商取引)により空間を豊かにする仕事です。
■会社設立の背景
 私は創業者でもあり後継者でもあります。祖父が材木屋を創業し、継いだ父がサッシや玄関ドアを扱っていました。しかし経営はうまくいっておらず、苦しい生活を送った私は会社を清算するために当時高架下にあった会社に就職しました。自分ひとり、手元には約5,000万の借金からのスタートでした。
 高架下にいたころはインターネットが流行りだした時期で、メーカーさんに口座だけはあったので、試しに商品をHPに載せました。するとHPを見たと仕事の依頼が来ました。これなら高架下でもやっていけると感じました。これが97年のことです。仕事のことを知っていた同友会に入っている社長の勧めで、インターネットの会社を新た立ち上げ、同時に同友会にも入会しました。

■社員のために経営をしよう
 苦しい中ごまかしながら会社を続け、利益が上がらない中、社員は5人くらいになりました。定時は6時なのにみんな9時を過ぎても残業してくれました。みんな会社が好きなんだと喜びました。これが仲間だと思っていました。でも、社長が残るからみんな残っていたのです。勘違いをしていた上に、当時は残業代のことも知らず、一切払っていませんでした。
 そんな私に転換期が訪れました。借金を完済したのです。社員にも残業続きで無理をさせたので、これからは自分のためではなく社員のために経営していこうと決心しました。1日2時間のみなし残業を導入し、会社を良くしようと取り組みました。しかし、思いばかりが先行して空回り。私は社員の現状を知らず、なぜ残業しているのかもわかっていなかったのです。同友会で経営指針書を作ってもうまくいかず、結果的に社員を振り回し、溝ができていました。人が入っても定着せず辞めていきました。

■思うようにいかない会社
 会社が大きくなり社員は10~20人。人事管理が難しくなってきたので、総務部長として専門家を雇いました。しかし、彼が来てからは「お金の精算をするときは稟議書を出せ」「社用車で通勤するな」「公私混同をするな」「パートに有給を出せ」と今までのようにいかないことばかりで毎日衝突しました。
 社内はうまくいかず赤字続き。気持ちは空回り。また同友会では赤字は肩身が狭かった。そこで無理やり黒字にしました。8期は売上6億で5,000万の赤字だったものを、9期は売上12億で4,000万の黒字にしました。

■当たり前の環境を目指して
 あるとき朝礼で社員が倒れ救急車を呼ぶ事態になりました。そのとき私は「やはりこうなったか」と思いました。
 この出来事をきっかけに会社を正常化していこうと10期目に2か月の改革計画を立てました。36協定を結び、有給の取得も推し進め、環境づくりに努めました。それと同時に経営指針を一新しました。明確なルールがなかった社内での物事の決め方を決め、会議の種類も明確にしました。
 規程関係を整え、職務権限について明記しました。権限を与えることで、仕事に責任を持つようになりました。  結局、なぜこんな環境づくりができたかというと、総務部長がいたからです。彼がボトルネックだった社長を律してくれていたのです。
 改革を始めた10期から12期で売上は上がりましたが、利益は下がりました。それが当社の実力で、今までそれだけ社員から搾取していたということです。

■利益を上げる環境づくりを
 私は皆のためと言いながら、本気の覚悟が出来ていませんでした。社員が倒れたときに初めて覚悟を決めました。
 環境改善は大変です。大変ですが、今の売上100億は組織変革があったからです。
 世の中にはビジネスモデルが良くても、組織体制が悪く消える企業があります。収益モデル以上にどういう組織を作っていくかが大事なのです。人を管理する総務は利益を上げることはありませんが、利益を上げる環境を作ります。だからこそ目を向けるべきなのです。