「この話であなたが変わる ~経営理念で会社が変わった~」呉支部経営理念の勉強会
【報告者】菅原汽船㈱ 代表取締役 菅原 博文 氏 (広北、経営労働委員)
菅原汽船 株式会社 ≪経営理念≫
三方よしの精神で、安全確実な海運業を創造し、全従業員の物心両面の幸せを追求すると共に豊かなグローバル社会の実現に貢献します。
海が好きです。
幼少期は、船上で育ち、船乗りになることが当たり前だと思っていました。
私は2代目です。1994年、37歳で家業を継ぎました。2020年には弟である専務にバトンを渡します。
現在、わが社は23隻の船を所有し、30名の社員が在籍する企業になりました。
●家族の挑戦
菅原汽船㈱は、終戦を海南島で迎えた父が無事帰国して創業しました。1947年のことです。
当初は両親が夫婦で機帆船を操業していました。私は大学卒業後に入社し、4年後に弟が入社しました。
1992年、内航海運から外航海運に進出しました。内航船には営業権が必要です。バブルの頃は営業権が1t/40万円。1000tの船なら4億円です。当時、同じドックにある、わが社の船(700t)と、他社の外航船(4000t)の価値が変わりませんでした。造船のしやすさ、船員費、収入を意識してのことでした。内航船の営業権を売り、完全に外航船にシフトしました。
でもノウハウがありません。わが社より2年早く外航船を始めていた船田海運㈱さんが中心の喜望峰の会で勉強させていただきました。
その輪の中に入れて頂いたおかげで人脈が広がり、情報が入ってくるようになりました。
●同友会でこんちくしょー
2003年頃から、中国の成長に合わせて船の運賃が未経験の額に跳ね上がっていきました。船を造れば高値で売れました。
2011年、見込みで六隻発注した直後にリーマンショックです。売るあてはなくなり、追い打ちをかけるように為替が70円になりました。1ドル100円で契約していたため、2~3か月後の不履行が想像できました。錯乱状態になったことを憶えています。
銀行団からはリスケを迫られました。けど一度したら立ち直れなくなると思い、できることをやろうと、関係先に頭を下げて回りました。2013年、綱を渡りきることができました。
この期間、自分磨きのためいろんな会に入りました。その一つが同友会です。2006年に入って、ちゃんと関わりだしたのは2010年からです。藁をも掴む思いでした。
経営労働委員会(当時委員長:住岡氏、㈲寿木工社長)に行くと、経営指針をつくりなさいと言われました。丸山先生のセミナーと、経営指針できるまでセミナーに参加しました。仲間の会社に訪問しては、経営指針書を見せてもらいながら作成しました。
できるまでセミナーでは、自分の立場、自社の存在意義、社員の幸せを自問自答しました。最終日は、発表会でした。明文化した経営理念と、2020年に広島県№1になる目標を発表しました。実はこの時、船の事故を無くせば保険料も下がり、経費は落ちるじゃないかと、どんぶり勘定を指摘されました。
●社員を幸せにしたい
できるまでセミナーで言われて経営指針発表会を始めました。最初の発表会では「また社長が変なこと始めた」と言われましたが、「意味あるのか?自分ならこうするのに」と社員に参画意識が芽生えました。
波に乗っている矢先、2016年のPCLショック(世界的な長期用船契約の見直し)です。わが社は2019年3月まで用船料が27%減になりました。経営陣の給与を半分にし、非常事態宣言を出しました。この年、300日間事故がありませんでした。社員の思いと行動で会社は変わると実感しました。
№1は、規模ではありません。社員の幸せや船の安全です。今でも腹の中には私の会社、という気持ちがありますが(笑)、経営理念を通して、何のための経営か、自分と社員に言い聞かせています。
わが社は経営理念で会社が変わりました。