活動レポート
  • ホーム
  • >活動
  • >基調講演 高付加価値企業のブランド戦略 ~糸職人集団のこだわりが会社を変えた~
2019.01.05

基調講演 高付加価値企業のブランド戦略 ~糸職人集団のこだわりが会社を変えた~

講師:佐藤繊維㈱ 代表取締役  佐藤 正樹 氏

 私は山形で糸やニット製品の製造販売をしています。私が帰郷した25年前、山形に450社あった繊維会社は、現在23社にまで減少し、会社規模も3分の1程度にまで縮小しています。国産ニットの生産は減り続け、10年前で既に全製品の99.5%が輸入品になりました。
 繊維業に限らず、製造業を取り巻く環境は世界的に変化を迎えています。これまで先進国向けに製品を作っていた国でも、低賃金を一つの理由に製造業に人が集まらなくなっています。日本国内でも大手の小売サービス業が地方にどんどん進出しています。下請けの中小企業は、大手の価格競争に勝つため人件費などの抑制を求められ、地方の製造業や小売サービス業は縮小していっています。若者は賃金の安い地方よりも都市圏の生活を選び、結果として地方は過疎と衰退を迎えています。
 今日は佐藤繊維のものづくりとブランド戦略についてお話したいと思います。

■絶好調の展示会から一転…

 佐藤繊維は、私の曽祖父が山形で1頭の羊を飼い始めたことがルーツです。父の代でニットを作るようになり、私が帰郷した頃には多くの企業が海外生産にシフトし、自社もその流れに大きな影響を受けました。
 それからしばらくして、アパレルメーカーから、「海外製品に負けない付加価値の高い商品を作ってほしい」と依頼がありました。私が当時めずらしかったプログラミングを駆使して、新しいニットを作ると、これが今までにない商品だと注目を集め、展示会でヒットしました。
 次の展示会に行くと私の商品が会場の中央に飾っていました。そしてまた次の展示会に行くと、会場の正面に私が前回作った商品にそっくりな商品が飾ってありました。しかも値段は二割安くなっています。大手企業が私のアイディアを真似て、自社製品として展示した商品でした。私が自分で考えた商品だと言ったところで証拠がありません。
 すっかり意気消沈した私でしたが、ある日、東京で見たこともない糸を使った商品に出会いました。私は東京の商社に紹介してもらい、イタリアから糸を取り寄せました。
 早速、日本の安い糸とヨーロッパの高い糸を組み合あわせたニットを作ると、その商品は高価な値段にもかかわらず、多くの方に買ってもらえました。アパレルメーカーの営業マンと「これからは付加価値の時代だ」と意気投合した後、突然、どこの糸を使っているのか聞かれました。私は以前に展示会で他の企業に作り方を話してしまった反省から、何も教えないでいると、彼の態度が豹変しました。多くの大手企業は情報を求め、決定権を持ち、より安くできる企業を選びます。私はこの時初めて、自社にしかわからない情報を持つ大切さを知りました。

■ものづくりの魂を知る

 ある年、イタリアの紡績工場から会社見学と素材の展示会出展に誘われました。工場では憧れていた糸が目の前で作られています。驚きと発見の連続でした。
 そこの工場長は「自分たちが世界のファッションのもとを作っている」と話しました。言われたものを作るのが紡績工場の仕事だと思っていた私は、その言葉を信じませんでした。ところが彼は実際に糸を触らせ、作り方まで教えてくれました。彼が伝えていたのは糸の作り方だけではなく、ものづくりの魂でした。その姿はとてもかっこよく、私のものづくりには魂がなかったことに気づきました。
 イタリアの展示会は日本とは全く異なり、各社が思い思いの形で自社の糸を魅せていました。うちの糸ではこんなものが作れるよ!と、提案しています。まるでデザイナーのイマジネーションを湧き立てるようでした。紡績会社として本来あるべき姿を見た気がしました。
 山形に帰ると社員にイタリアの様子を話し、「オリジナルの糸を作りたい」と伝えました。当時の社内はバブルの時のように、黙っていても仕事が来ると思っている社員が大半でした。私は渋る社員に対し、押し切る形で糸を作ってもらうことにしました。
 数か月後、社員はにこりともせず、私の机に完成した糸を叩きつけました。ぶっきらぼうな態度に反し、誇らしげな様子を察した私は、「ここをもっとこうしてほしいけど、難しいよね…」と言うと、以前は出来ない理由ばかり話していた彼が「いや、たぶん大丈夫だ」と言うのです。私がイタリアで得たものづくりの情熱が彼に伝わり、彼も糸を作る面白さを知ったからこその答えでした。
 ところが半年後、販売した糸が大クレームを受けました。会社は不良在庫の山です。私は社員と一緒に糸づくりを最初から見直し、四年後にようやく改良版の糸が完成しました。いまの佐藤繊維のものづくりの原点は、ここにあります。お金がなくても自分たちの作りたいものを作り、自分たちで新しい文化を作っていきました。その積み重ねがヨーロッパにもない佐藤繊維オリジナルの糸やニットの誕生になりました。  

■トレンドを追いかけない

 当社のニット工場が発注がないために、1カ月稼働しないとわかったときのことです。このままでは社員の仕事がなく、私は注文もないのに勝手にニットを作りました。商品が完成すると、私と妻は自らトラックを運転して販売に行きました。しかし、直売所ではあんなに売れる商品が、スーパーの前では全く売れません。お客様に見てもらえなければ、売れない商品と同じです。鞄にサンプルをたくさん詰め、営業に行きましたが、当時流行していたハイゲージ(網目の細かい)ニットを取り扱っていない当社は、相手にもしてもらえませんでした。
 問屋にも商品を持ち込みました。商品自体は好評でしたが当社が工場だと知ると、値下げを要請されました。工場ではアパレルメーカーとして見てもらえないということです。そんな中、東京の展示会に声がかかり、自分たちが作りたいと思う商品だけを手に出展しました。無名だった私たちのブースには、商品の目新しさから次第にお客様でいっぱいになりました。3日間の展示会が終わると、私の手元には170社370人の名刺が残りました。当時自社の営業は私1人。すべての会社と取引をすることはキャパ的にも難しく名刺を見直してみると、そのほとんどは数か月前に私が飛び込みで営業をし、断られた会社でした。
 今度はニューヨークの展示会に誘われました。父親からもらった渡米のチャンスは3回。2回目までは思うような結果が出せず、あと1回しかないという時に、自分たちのブランド「M.&KYOKO」にストーリーを作ろうと考えました。「佐藤繊維は、初代が1匹の羊を飼うことから始まり、4代目の私が代々の技術を受け継ぎ、デザイナーの妻のために糸を作っている」というストーリーです。ブースも他社が当時のトレンドだった黒をベースにしていたのに対し、ナチュラルをテーマに木の枝にニットや糸を飾りました。これが多くの人の目を引き、アメリカの他の展示会にも参加するようになりました。
 日本では高いと言われた商品が、アメリカでは日本製だと知ると、値段の安さに驚かれました。値段の高い・安いはお客さんが決めるものです。商品の質だけでなくブランディングや販売する環境が整っていれば、値段は商品についてきます。安く売っていると、商品そのものの価値が安く見られことがあります。大切なのは商品の価値に見合った売り方やブランディングをしていくことだと学びました。

■多様な日本、多様な社会

 大手は商品をとことん安く作らせ、PRやプロモーションに莫大な金額をかけています。質よりもブランドで勝負です。しかし、そんなショーの時代は終わりました。今は企業が直接インターネットで消費者に販売する時代です。しかも直接販売することで余計なコストがかからず、高い利益を得ることができます。この流れはオリジナルの商品を持つ中小企業にとって大きなチャンスです。
 大手は1番売れる大きなマーケットで勝負しますが、当社はトレンドには乗らなかったことで、独自のマーケットができました。誰かがやったトレンドを追いかけるのではなく、自分たちにしかできない独自のストーリーのものを作っていくことが大切だと思うのです。
 地方の企業は人口減少や経済の縮小から、今までより小さい規模でビジネスを行う時代になりました。地方からどんどん独自の商品やサービス、技術を発信していかないと、日本中どこに行っても同じものしかない国になってしまいます。これからの私の仕事は、今ある技術やサービスを活用し、地域を守り、若い人たちが集まる多様な地方を作っていくことだと考えています。