第5分科会 女性が活躍できる企業づくりはでらすごいが ~良い会社、強い会社とは何かを考える
報告者:㈱エステム 代表取締役社長 塩﨑敦子 氏 (愛知同友会)
■会社概要
当社は「水を中心とする環境文化と、安全で快適な自然環境の創造を通じて、社会に貢献します」という経営理念のもと、下水や工場は排水等の汚水を浄化して海や川に流すための施設のメンテナンス、水の分析等を主な業務にしています。
仕事柄、「汚い・きつい・危険・臭い」の4Kの仕事で完全な男社会です。同様な職場で女性が働いている所は多くはありません。そんな業界ながら、当社は男女差のない職場を目指し、出産後の職場復帰等にも力を入れています。
■自己紹介
私は大学卒業後、新卒採用で入社しました。バブルの終り頃で、男女雇用機会均等法施行後の入社です。大学は工学部で、排水処理の仕事に就きたいと思い、水メーカーに入りたかったのですが、大手プラントメーカーの女子学生の採用は、一般職がほとんどで、私が希望する現場での仕事はありませんでした。
そんな中で出会ったのが、今の会社の鋤柄名誉会長(当時専務・元中同協会長)です。「うちの会社は男女関係なく、その人に適した事をやってもらうから、大変だけど好きなことがやれる」という事で入社しました。
しかし、入社すると電話番とお茶くみ、コピーの毎日が続き、落ち込みました。半年ほどして、上司が代わり仕事内容が変化し、仕事が楽しくなりましたが、現場での仕事は実現しそうにありませんでした。1年半くらい我慢しましたが、上司に詰め寄って直談判の結果、現場の仕事ができるようになりました。
■男性の職場で男性と一緒に仕事をすることとは
男性中心の職場で気を付けたことは、男の人たちがやっている汚い仕事を嫌がらないことでした。カ仕事もできる範囲で一生懸命手伝い、作業の中で、自分の得意分野があれば少しでも役に立てるように心がけました。他にも草刈や現場の掃除など、共同作業をするときはできる限り一緒に汗を流すようにしました。
設計の仕事を七年した後、運転管理、メンテナンスが仕事の部に移動になりました。少々難しい工場排水管理を中心に行う部暑を女性だけのチームとしてつくることになり、そのリーダーにという話でした。メンバーは私と、同世代の女性一名、新入社員の3名で、難しい仕事をやる女性のチームと言われたにも関わらず、女性だからという理由で新人社員がメンバーになったことで男性社員から不満がでました。「これって男女逆差別なのでは」と思いました。
女性、男性ではなく、「そのポストに向いた」や「その人だからできる仕事」があるわけです。だから、それを超えて仕事を頼まれることは、本人にしては少し辛いものがあり、逆にその仕事をしたいのに、やらせてもらえない人も少し辛いものがあるわけです。そういう状況を男子チーム、女子チームで分けることはどこかおかしいと感じていました。
半年そういう状況の中で仕事をしましたが、上司との話し合いで女子チームを解消し、そのチームに男性社員も入るようになりました。そこから進歩して、今は新しい組織になっています。
■課長から部長、そして社長に
課長になったとき、ある部長さんに「課長昇進おめでとう。うちの会社の初女性課長だね。でも君が課長になって、君でもうまくやれなかったら、しばらく女性の課長は出ないだろうね」と言われました。
びっくりしました。男性でもうまくやれなかった課長は過去にはいたと思うのに、女性だと何でそうなるのと率直に思いました。
課長になった頃は、振り返ると本当に仕事ばかりしていました。そんなある日、突然の抜擢がありました。3代目の社長、先代の社長が社長になるタイミングで、新しい部署の部門長への抜擢です。
初めて部長会議に出て驚いたのは、50代以外は60代の会長と30代の私の2人だけだったことです。さすがに悩みました。周囲の人たちはどう見ているのだろうか。また自分にその仕事ができるのだろうか。とても悩みましたが、1週間後に出した結論は「やってみよう」でした。
私は現場、技術、お客様との対応がメインの仕事で、部門の運営や人育て、数値管理等、全てが初めてでしたが、決めた以上は必死に取り組みました。最初は苦手だなと思うこともあり、気持ちが臆することもありましたが、実際にやり始めてみると楽しく、新入社員が少しずつ育っていく姿をみるなど、人を育て組織をつくることの楽しさに気づきました。そして、現場でなくても女性が活躍できる職場があることを後輩に見せてあげたいと思うようになりました。
部長をしばらくやった後、取締役になりました。先代社長と私は20歳違いで、その間の世代が人材としては少し薄くなっていました。「この後どうするんだろう」と心配していたら、先代社長が、「俺、後3年で辞めるわ」と宣言しました。3年後くらいに辞めるから、それまでに誰か後継者をと言い出しました。
社長をやらせられる人が社内にいなければ、外から探して来ようかという話もありました。外から社長を呼ぶことになると考えると、私自身も、経営の勉強をして助けていかなければと思い、大学院に夜間通うことにしました。
このような経緯を経て、最終的には私が社長に就任しました。就任まで先代社長からは熱く説得されたというわけでもなく株主総会を迎えました。でも、私が覚悟した瞬間が1つだけあります。先代が、「もしも、外から社長来てもらうことになったら君、ちゃんとサポートしてくれるか」と聞かれた時です。
それ以降、そのことがいつも頭の片隅にありました。同時に、新しく来た社長は、当社のことを理解し、良いところをきちんと継いでくれるか。あるいは会社を売却などしないか。そんなことを考えるとソワソワしました。 その結果、当社のこと、社員のこと、事業のことをよく理解した人に社長になってもらいたいと思うようになりました。私の中で「いざとなったらやるか」と覚悟が決まった瞬間だったのかなと思います。
■様々な制度を有効に利用できる風土づくりを
現在、10名の女性管理職がいますが、男性の部下が本当に認めた女性を管理職に上げています。社員の女性の比率と管理職の女性の比率が23%と19%とあまり差がない状況まで来ています。
社員が抱える問題は女性に限らず男性にも同様にあります。育児も女性だけの時代は終りで、介護や自身の病気やケガなどの問題も出てきます。全社員がずっと働き続けられる会社でありたいと思うし、やりがいを持って楽しく働いてもらうためにはどうしたらいいのかを考えています。
当社には、いろんな制度がありますが、基本的には制度は社員が自分で考えてつくることを促進しています。
当社は社員数420数名で、全国に拠点が多数ある会社だからいろんな制度の利用が可能なんだ、我が社は数名だからできない、などとよく言われます。また、制度があっても社員が使わないという話も耳にしますが、制度はそれを活用する社内の風土がないとあっても意味がありません。制度が本当に根付くまでに何年もかかっています。
■女性の活躍と女性幹部の育成
女性社員の活躍と、女性幹部の育成は少し違うようです。これは個人的な見解ですが、女性社員は男性のサポート役としてのやりがいを続けたことで、サポートのプロで良いという地位が根付き、女性社員の秘めた芽を摘んでしまっていると感じています。
ノミは自分の体長の150倍ものジャンプカがあります。でも、コップの中にノミを入れて蓋をすると、最初は何度もジャンプして抜け出そうとしていたノミが脱出は無理だと判断し、蓋をとっても高く飛べなくなるという話です。まさに、サポート役で満足している女性社員は、これだな、と感じています。
サポートという刷り込みをまず一旦剥がし、チャンスを与えながら見守ることで、女性社員にも男性社員のサポート役で満足して終わるのではなく、殻を破って羽ばたいてもらいたいと思っています。
■最後に
男性か女性が重要な事ではなく、「身長差」とかと変わらないようなものだと私は考えています。これからも自分と違う人がいて当たり前、それぞれの個性を大切にする会社をつくっていこうと思います。