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2019.01.05

第6分科会・事業承継(青年部) 「事業を受け継ぎ、さらに発展~夢と希望を抱いて 先代の理念を理解し、自分の理念を確立して~」

報告者:(福)愛和会 施設長  中本 悠哉 氏(尾道支部)

■はじめに(自己紹介)

 社会福祉法人愛和会 中本悠哉です。たんぽぽ認定こども園とたんぽぽ保育園を運営しています。法人としては4年目、保育園としては母が創業して42年目となります。私は、施設長、園長という肩書きで、理事長は母が務めていますが、現在は会長職のような形で、実際の経営は私が行っています。
 私は1982年生まれ、現在36歳です。父は元消防士、母が先代の園長、私が長男で後継者、弟は父を継いで消防士の4人家族。私は妻と息子2人の4人家族、4月にもう1人生まれるので5人家族になる予定です。幼い頃から、父とは合わず怖くて避けていました。母からは叱られたことがなく、いつも肯定的に受けとめてもらってきました。
 たんぽぽ保育園は、向島の実家のすぐ隣にあり、1階のドアを開けると保育園につながっていて、保育園があることを当たり前に育ってきました。私にとって保育園はなくてはならない存在でした。

■自覚のないまま

 向島は少子化が進み、子どもの数が減ったことで、それまで強気だった母が、急に「保育園をやめてもいいかねぇ」と弱気になりました。このことがきっかけで、2008年、26歳の時に帰って来ましたが、後継者としての自覚はありませんでした。
 後継者ができたことで母は元気になり、子どもの多い高須町に新たに保育園をつくることになりました。しかし私は、ただ業務をこなすのみです。2009年高須の新設が正式に決まりました。父の退職金をあてにして土地を買い、母の名義で借入をし、建物を建てました。増築も続き、借入が増えました。しかし、私は性根が入りません。「10年後20年後はあなたの借金よ」と小言を言われる度に、私はごまかし逃げていました。夜は飲みに行き、休みの日は友人と出かけたり、彼女とデートしていました。

■やる気スイッチオン!だけど

 2010年、28歳。いよいよ高須に保育園がオープンしました。私は朝7時に園を開け、19時に園を閉め、その後実務をするなど、がむしゃらに働いていました。しかし、経営に関わらない私に、母親の怒りが溜まっていきました。ある日、母の怒りがピークに達しました。「保育園を辞めて別の仕事をしなさい!」初めて見る母の姿でした。母は本気で保育園を売るつもりでした。
 母が寝室に上がり、苦手だった父に「母の創業当時からの苦労や葛藤という歴史を聞きなさい」と諭されました。翌日、母から園児が集まらなかったこと、銀行はどこも貸してはくれず資金繰りに苦労したことなど歴史や想いを聞きました。知らないことばかりでした。
 父と母が汗水垂らしてつくってきたこの保育園を継続していくこと、認可外保育園では保育士さんに十分な給料や賞与も払えない時代があったことを聞いて福利厚生面を充実させていくこと、安心安全な保育をさらに向上させること、この3つのことを本気で考えるようになりました。やる気スイッチが入りました。

■性根がはいる。覚悟が決まる

 社会福祉法人についての条件が判り始めると両親が反対しました。それは、土地、建物を法人に寄付しないといけないことが条件にあり、私的財産を失うことになるからです。この年、認可化は見送りました。実は、法人が続く限り、財産は没収されることはありませんが、結局は私の覚悟が甘く、法人を続けていくという信頼を両親から得ることができなかったのが原因でした。
 そんな最中、初めて退園児を出してしまいます。想像以上に課題のある子どもを私が安易に受け入れたため、他の保護者からのクレームが噴出、その子の保護者との関係が悪化し、私も担任も職員も疲弊してしまいました。
 怒られるのを覚悟し、母に相談すると「あなたに足りないものは、課題がある子どもを持つ母親へ、寄り添う心がない」と諭されました。翌日、主任と担任の先生に泣きながら謝りました。すると主任は一緒に涙を流してくれ、「園長の気持ちは私も職員も理解しています」と言ってくれました。その子は、結局、違う園に変わっていったのですが、このことで、真の保育、子育て支援ということがどういうことなのか自問していくことになりました。
 ある日、私も母も知らないところで、卒園生の保護者が「たんぽぽ会」をつくっていることを知りました。42年間、保護者や地域の人たちに支えられてきたことを実感しました。このことを知って、「たんぽぽ」を存続させていくことの覚悟が決まりました。そのことを父と母に伝えると、法人化に反対していた両親はいともあっさりと認めてくれました。認可の手続きを進め、翌年、認可を得ることができました。

■経営理念への思い

 経営理念は母が同友会に入会し成文化しました。私は成文化の経緯は全く知りません。改めて成文化の想いを聞き、どう追求していくか考えました。
 初めて参加した同友会青年部の例会で「幸せの定義」という話を聞きました。製造業の方の話で、現場の社員が幸せでないと良い商品ができないという話でした。その通りだ、保育士が幸せでなければ良い保育はできないと思いました。職員の満足度を上げ、笑顔を増やそうと思いました。すると自分として理念に加えたいことが湧いてきました。それが、「私たちはやりがい生きがいを持ち、幸せな人生を送ります」です。これを追加したいというと母が私も同じ想いだと言ってくれ四つ目の理念として加えることになりました。

■みんなが幸せになるために

 社会福祉法人の認可保育園となったので、両親が仕事をしていないと入園ができません。仕事を辞めた場合は、保育園も辞めなければなりません。2人目の出産をきっかけにお母さんが仕事を辞めると、預かっている1人目の子どもが退園することになります。認定こども園となればこの問題が解決します。認定こども園は、保育園と幼稚園、両方の機能を持ったものです。朝から夕方までの保育園と9時頃に来て14時頃帰る幼稚園が混在しています。時間は短くなりますが、幼稚園の部分で継続的に子どもに来てもらえることができます。
 母からはあなたに任せているのだから、職員もやりましょうと、認定こども園に取り組むことになりました。  2016年に認定こども園なりました。果たさなければならない義務は増えるのですが、幼稚園部分の利用料が増えるので、収入増になり、資金は潤沢になりました。これにより3月の期末賞与を職員により多く支給することができるようになりました。

■これからやりたいこと

 小規模保育所は、0歳児から2歳児まで定員が18名の小さな保育園です。これをこども園のすぐ近くにつくりたいと思っています。少子化への対応として、まず、0歳児保育を入口として、3歳からはこども園へという流れをつくりたいのです。少子化の中で、まず、園児の数を減らさない、引いては職員を守っていきたいと考えています。小規模保育所は2年後に開所予定です。
 また、核家族化が進み、働く女性が増える中で保育のニーズが高まる中、卒園生の学習支援や子ども食堂の運営など、子どもの居場所づくりを行っていきたいと思っています。

■事業承継に必要なこと

 事業承継について、まず、受ける側のポイントは、自社の歴史を知る、覚悟をする、感謝をする、の3つだと思います。どのような思いで、事業を行い、どんな苦労を乗り越えて今があるのか聞いておく必要があります。  
 渡す側のみなさんへのお願いです。信じて待つ、信じて任せる。話を肯定的に聞く。話し合う時間を設ける。3つのことをお願いしたいです。
 コミュニケーションを取る前に先代が亡くなってしまうという話も聞きます。限られた時間です。しっかりと向きあってコミュニケーションを取ってください。それが事業承継のスタートだと思います。