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2018.01.04

第2分科会 会社変えたきゃ、社長が変われ ~想いと気づきを行動に、まずは実践することから~

 第2分科会は、ねらいは「経営者の自己変革」でした。堀内氏から「いつまでに、何をするか決めて会場を出よう」と呼びかけの後、始りました。
 
●後継者の葛藤~参加して前向きに(小田原氏)【小田原工業㈱】

 わが社は、1979年に設立した自動車部品の製造をしている会社です。東日本大震災、タイの洪水、社長の緊急入院と、立て続けに自社が揺らぐ出来事が起こり、売り上げはピーク時の半分になりました。当時の私には不安しかありませんでした。私は、物心ついたときから「社長の息子だ」と思って育ちました。それのために入社間もない頃、自分の甘さから自社に損害を与えた経験があります。この頃から経営は「義務感」でしていました。上手くいかないことは、全て社長や環境が悪いと思っていました。2011年に同友会に入会し、2014年頃から参加するようになりました。経営指針づくりがきっかけでした。体験報告を聞く中で経営者の経営姿勢に気づかされ、自分が経営したい、楽しみたいと思えるようになりました。1年前、経営指針をつくりました。社長(父)に提案し、渋々OKをもらい、社内でグループミーティングを始めました。これからだと感じていましたが、3ヵ月で社長に打ち切りを命じられました。私の経営は道半ばです。来年10月に社長交代を控えていますが、短時間労働で高付加価値。売上2億6千万円。定期採用、社員が誇りとやりがいを感じられる会社にしていこうと思ってがんばっています。
 
 
●ギアを2速へ~実践あるのみ!(田中氏)【㈱ツインズ】

 わが社は2001年に創業しました。妻である専務と二人で始めたから「ツインズ」です。広島から関西間の輸送を手掛けていますが、温度管理車による冷凍食品やウイング車での自動車部品の輸送を得意としています。創業から五年間は資金繰りで苦労しました。今日は社員がいるので言いづらいのですが、借りたお金でパチンコをしていました。あとで気がつきますが、私と専務が遊ばなければ、資金繰りは楽だったのです。2003年に、ゴルフを通じて同友会に出会いました。たまたま優勝して入会することになりました。すぐに経営指針成文化セミナーに参加するも肌に合わず、9年間同友会から足が遠のきました。2012年頃、会社でただ寝ている自分がいました。何かおかしいのですが、何がおかしいのか分かりませんでした。同友会のことを思い出し、ちゃんと参加し始めると、いつかは追い抜かしてやろうと思える経営者との出会いがたくさんありました。今年の4月、初めて経営指針の発表会をしました。取引先・金融機関・同友会の仲間を招き、わが社の将来を発表しました。経営指針は、同友会の仲間に教えてもらいました。当初は作り方が分かりませんでした。けれど「社員を巻き込め」「徹底的にパクれ」と教わったので、仲間の会社に社員と訪問して経営指針を見せてもらいながら完成にこぎつけました。社員の話を聞かなかった私が、経営指針成文化を通してやっと、待つことができるようになりました。経営指針ができて、目標が明確になりました。今期の売上目標は、2億6千500万円です。現時点で達成率は約54%です。必ずやり遂げます。3年後の目標五億円に向け、19名の社員と一緒に進んでいきます。
 
 
●経営指針の実践こそが自社進化の近道(平森氏)【㈱昭和観光社】

 私は経営指針に描いた自社のありたい姿を追いかけ続けています。その過程で、㈱昭和観光社は一般旅行から福祉旅行専門に軸足を移しました。私は2代目ですが、先代とは血縁はありません。縁があって入社し今に至ります。1994年、32歳の時、2度目となる肺の緊急手術をしました。「生かされたら、世の中になくてはならない究極の笑顔の旅行を提案したい」。病の床で描いた思いが現在の経営理念の根幹になりました。けれどもその当時の社内は、商品を売ることだけに軸をおいていました。バブル崩壊後、売上が下がり続けていたことによります。仕入が9割の旅行業界です。当時の社員数は10名。売上は4億6千万円。ピーク時の70%になっていました。1998年、会社がやばい、という不安しかありませんでした。この時期に同友会に出会いました。すぐに参加した経営指針成文化セミナーで丸山先生から言われた事は、「逃げるか、すべてを受け止めるかだ」でした。私は逃げずに社長になることを決意しました。先代の思いを引き継ぎ、業績は2年越しでV字回復できた2001年、先代が亡くなりました。経営指針を作成し実践をしていたお陰で、事業継承はスムーズにいきました。笑顔を広げる、という経営指針の実践のスピードが上がりました。現在、わが社は心の翼ツアーと外出支援を通じて、笑顔と生きがいの提供をしていますが、社会的弱者の方をとりまく障害を取り除くことに注力しています。そのために、わが社一社でできないことは、目的を共有できる「観光・福祉・医療」分野と連携して「温泉入浴」「旅行外出サポーター自社登録と外部看護師」「福祉用具の貸出」へと自己革新を続けています。原動力は、旅先でいただく、お客様のお困り事の声です。わが社と社会の共通の課題だと思っています。この仕事は、お客様の喜びが私たちの喜び、感動、生きがいです。五年後に向け、観光・福祉・医療が一体となった事業を拡大させます。わが社の事業が世の中や世界の希望の光となり、希望と笑顔の満ち溢れる未来を切り開き続けます。

 
●パネルディスカッション~3者の自己変革
コーディネーターの堀内氏

 堀内氏 まずは小田原さん、経営計画にたいする課題はありますか?
 小田原氏 現社長が納得できる結果が出せていないことです。会うたびに経営計画の話をしています。
 堀内氏 これに対してお2人はどう思いますか?
 平森氏 私の経験でいうと先代ととことん話しをすることと、何がなんでも結果を出すことが大事だと思います。
 田中氏 経営指針に社員をどれだけ巻き込めるかだと思います。
 堀内氏 小田原さんは人を大事にしたいそうですが。
  小田原氏 はい。社員の主体性を引き出して結果を出している方がたくさんいます。社員の声に逃げずに向き合うことから始めたいです。
 堀内氏 田中さんは、会社で昼寝をしていたそうですが。
 田中氏 目標ができて、一気にやりました。思ったらすぐにしないと変化はないと思います。ある会社の経営指針の発表会に参加しましたら、社員主導で行われていました。5年後、あんな会社になりたいと思っています。
 堀内氏 平森さんの元気の秘訣は?企業変革支援プログラムを活用されているそうですが。
 平森氏 お客様の笑顔です。「旅行したい」と必要にされることが力の源です。企業変革支援プログラムを使い、付加価値を追求しています。お客様の声を拾い集め、見える形でお返しする仕組みづくりのためです。
 堀内氏 今回のテーマは自己変革です。
 小田原氏 常にモチベーション高く、成長し続けます。まず、10月を何としても黒字で終えます。
 田中氏 口を出しません。誰にも負けたくありません。他社の良いところをまねします。
 平森氏 笑顔を阻む障害を取り除き続けます。何のために経営しているかだと思います。