〈東広島支部オープン例会〉 ピンチをチャンスに!! 失敗から生まれたわが社の体制 ~きっかけは5Sを活用した仕事づくりから~
去る3月23日(木)、東広島支部オープン例会が開催、43名が参加(内オブザーバー7名。金融機関含む)し学び合いました。住岡氏の報告の概要をご紹介します。
●仕込まれたスイッチ
わが社は、人々にとって欠かすことのできない木のぬくもりを感じる木製品の製作に情熱を傾けてきました。経営理念は「世に必要とされる企業をめざし、人に必要とされる人間をめざす」です。
30年前から、大手建材メーカーの内装建具の製作を手掛けています。
私は二代目です。大学時代は大阪で過ごし、就職しました。当時はバブル真っ盛り。夏は海。冬はスキー。そんな楽しい毎日を送っていた社会人4年目のこと。「もうやれん」と母から電話がありました。
1993年、寿木工に入社。小学生の頃から家の手伝いをしていた私の背中には、いつかは家に戻るというスイッチがあったのかもしれません。
●起こるべくして起きた大クレーム
当時の自社は、社員全員が親族でした。他人も入れたいという思いから急いでハローワークに求人票を出しました。
人も増え、私も若く、仕事はいくらでありました。利益が出ると事務所を新しくしたくなりました。新事務所が竣工し順調に思えた矢先の2000年の冬、大クレームを発生させました。2週間寸法の違う製品を作り続けていました。
年末年始夜を徹し、全社員で対応にあたりました。現象は単純なサイズ確認の見落としでした。当時の自社には検査機能はなく、ゴーを出したのは私でした。取引先に頭を下げる会長(父)の姿を見て自分が情けなくなりました。
年が明け、1月中旬、社員全員と面接して、会社の状況を説明しました。すると22人中9人が退社しました。資金面では金融機関から融資を断られ、2か月後の資金ショートが想像できました。ありもしない入金が夢に出る程、眠れない日が続きました。
●5Sしか知らなかった
その当時、わが社には基準も目標もありませんでした。社内は、怪我や万引きなど人の問題を抱えていました。
変える手法として唯一知っていたのが98年から始めていた「5S(整理・整頓・清潔・清掃・しつけ)」でした。
このやろうという気持ちで「私の価値観」から変えていきました。
19年前から、まじめに、あきらめず、続けてきました。現在、安全・品質・生産性が大きく向上しました。小ロット、多品種、特殊品の短納期を心がけ、発注日にプラス1日で入庫しています。
生産性は毎年、必ずレベルアップさせています。経営計画の部門計画で明確にし、追求しています。5Sにより、目標と現状の差異を問題として顕在化させることができるようになりました。10年前からは幹部社員と一緒に経営計画を検討するようになりました。社員と一緒に考える社風ができつつあると思っています。
●未来へ
03年、初めて地区例会で体験報告したとき、不安から未来のことが話せませんでした。
あれから同友会を含め、機会を利用して相談したり、相談されたりしながら改善を続けてきました。
最近、㈱オーザックさん(福山支部)を訪問しました。岡崎社長の話を聞き、現場を見学し感じたことは、「うちの社員も頑張っているし、わが社にも仕組みはある。だけどわが社と何かが違う。岡崎社長と私?違いはどこだろうか」でした。
寿木工が成長を続けるために、社員が働き続けられる環境整備を続けます。給与の水準を上げます。休日は17年は現在の105日から115日に引き上げます。
既存の仕事にみがきをかけつつ、新事業へのチャレンジが始まったばかりです。夢や目標を行動の源とし、不安感を危機感に変え、社員と一緒に変化に挑戦し続けていきます。