『脇の甘い経営では、会社は本当に失くなるぞ!』 ~すべてに向き合う事の大切さ 責任・覚悟・想い~
■後継した会社を失う
父から引き継いだエーブルコンストラクションは建築鉄骨の設計・施工会社で、4K(暗い、汚い、危険、きつい)な職場環境でした。工場には弟も働いていたのですが、聞くところによると給料の未払いがあるようでした。
そこで僕は2007年に改善に取り組みました。しかし、改善についてきてくれる人は数名でした。それでも3年後には、未払いがなくなりました。さらに多能工化や3S、機械の多台持ちなどを進めました。結果、明るくきれいな工場になり、人も明るくなりました。このとき、僕は経営の勉強をしていませんでした。儲かってるしいいやと思っていたのです。
そして08年、リーマンショックが起きます。業界は縮小し、得意先の中で生き残ったのはY鋼業1社だけとなり、エーブルはその言いなり単価で仕事をしていました。
ある日、Y鋼業の社長から「経営のプロを送り込んでやる」と提案されました。僕はY社長の提案を受け入れました。これで何とかしてもらえると安心したのです。そして副社長がやってきました。副社長がやってきて最初にしたことはリストラでした。社員を半分に減らすと、副社長は自分の持っていた鉄工所から従業員を連れてきました。こうして、従業員の半分が副社長の息のかかった人間になったのです。
今度はY社長から「うちに経営の勉強をしに来い」と言われ、僕は出向します。出向から帰ってきたとき、すでにエーブルは副社長のものになっていました。そして、借金がかさみエーブルはY鋼業に売却することになりました。
エーブルの敷地には、父親が大好きだった白樺の木があります。その木は売却してすぐに伐採されてしまいました。このとき、父親がぼそりとつぶやきました。「これでこの会社に何の未練もなくなったわ」と。僕は会社だけでなく、父の魂も売ってしまったのだと気が付きました。
■ゼロからの再出発
12年、鹿間工業はわずか9名の社員とともにスタートしました。しかし、鹿間工業には仕事も信用もありません。そんな中、昔世話になったからと助けてくれる人もいました。周りの助けもあり、3年後には会社は黒字になりました。
14年11月、僕は奈良同友会に入会します。毎月例会に参加して、その中で経営の勉強をしようと頑張りました。同友会に入ってから、広島の経営者の方に「坂本竜馬は、最初からすごいやつじゃなかった。全国を巡っていろんな人に出会って立派になったんだ」という話を聞きました。これを聞いて、全国に出ていろいろな人に会えば、僕も良い経営者になれるのではないかと考えました。
それから僕は経営の勉強ばかりしていました。すると、社員から「社長は何考えてんのかわからん」と言われました。僕は、皆と誇りをもって仕事をしたい。小さくても大企業に負けない会社にしたい、と伝えました。そして経営理念を定めました。人に伝えることの大切さを実感しました。
同友会に入ってから僕は様々なことに取り組みました。MG研修で経営の練習をしました。建築の鉄鋼以外の、プラント、土木、金物などの業界に参入しました。下請けから脱却するためにWEBで営業もしました。今は仕事がなくても1年は給料を払える額を目指して、内部留保を増やしています。他にも、5年10年先を見据えて古くなったビルのリノベーション事業に取り掛かっています。
鹿間工業の経営理念は、『より良く、楽しく』。これを突きつめていきたいと考えています。
■経営者かくあるべし
同友会入会前、僕にはエーブルを取り戻すという夢がありました。しかし、入会後にそれは通過点になりました。今の夢は、本気で社員を幸せにする、地域の人を幸せにする、日本を良くすることです。
鹿間工業を本格稼働した当時は先が全く見えませんでした。そんなとき、香川の先輩経営者からこんな言葉をいただきました。「人生な、苦しいこともある。逃げ出したいこともある。でも、絶対に負けたらいかん。負けたらいかんぜよ!」
経営者は逃げたらいけない。僕は逃げたから、社員に苦しい思いをさせました。僕は彼らを幸せにしなければならない。「負けたらいかん」この言葉を皆さんに送りまして、今日の記念講演とさせていただきます。