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2016.12.27

第2分科会 「自己変革~自ら変わり会社を変える」

2016-12 (7)報告者:松本ギフト㈱ 代表取締役  松本 勝彦 氏

会社概要

 わが社は、創業一九〇五年(明治三八年)、設立一九五〇年(昭和二五年)、今期六六期目で、松本紙業株式会社として設立しました。その後、贈答品を扱うようになり、一九七五年に松本ギフト株式会社に社名を変更しました。現在、資本金は一〇〇〇万円。社員数は一四名。業務内容は、カレンダー・タオル・うちわ・扇子の名入れと贈答品販売の代理店をしています。売上は、六五期実績で二億一〇〇〇万円、六六期目標が二億三〇〇〇万円から五〇〇〇万円の予定です。
 一〇〇〇ロット以下のカレンダーは、コストの関係で、手でめくりながらの印刷になります。これができる職人が県内に正社員で一〇名、我が社には私を含め三名、同業者は広島に二社、福山に一社、全国で約八〇社です。
 年間の売上推移ですが、二月から六月が毎月二〇〇万~三〇〇万円程の赤字になります。七月はほぼトントン、八月九月も赤字で、一〇月から一月が黒字、年間八ヶ月の赤字を四ヶ月の黒字で乗り越えるという決算になっています。
 経営課題の一つは、人員の確保です。ピーク時に会わせて人員を抱えると、閑散期には仕事がないという状況です。逆に閑散期に合わせると繁忙期に仕事がまったく回りません。一方で正社員にこだわっています。お客様との関係を大事にしたい、技術をしっかりと身に付けて欲しい、と考えているからです。
 ここ四~五年、売上は四~五%増えてきています。今後、新工場に向けた設備投資の準備、長期借入金の繰り上げ返済、四~五年の内に、定年を迎える社員が五名いるので、早めに新卒を中心に若い社員を採用し、技術や情報の継承を図っていこうとしています。

入社当初の会社

 私は、創業一〇〇年目、今から一一年前に入社しました。当時は、二期連続の赤字で、今年が正念場という状況、賞与も通年カットでした。社員からは「この会社、大丈夫 か」という声も聞こえていました。三〇代くらいの社員ならば辞めていたと思いますが、当時の平均年齢が五八歳だったので、次の就職先がないので、辞めないという状況でした。
 どうしてこんな状況になっているのか分からない中、父から飲みに行こうと誘われました。お酒が回ってきた頃に、「会社をどうしていけばいいのか分からんのじゃ」と告白されました。ワンマンタイプの経営者だったので、驚きました。営業力は抜群な人でした。父の苦労を知り、本気でやろうと自分自身にスイッチが入りました。
 社内で前向きにいろんなことを提案しましたが、社員はだれも相手にしてくれず、耳を傾けてくれませんでした。ならば会社のことをとにかく把握しようと財務以外のことは入社二年の内に徹底的に調べ理解をしました。
 後から考えると、ビジョン・方針がないことが決定的な要因でした。業績を良くするために、もっと勉強したいと思いました。福山に帰って、一年目、同友会の青年部に参加しました。

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同友会に入会して

 青年部に入りたくて、同友会に入会し、ひと月後に青年部へ入会しました。
 まじめに出席し、相談ができる先輩もできました。ある時、いつものように、社長が、社員がとグチをこぼしていると、本気で叱られました。みんなを説得できないのはお前のせいだ。いずれ社長になるんだったら、ここでぐずぐずいう暇があったら、すぐに帰って説得しろ。と言われました。
 悔しかったです。それは自分の不甲斐なさに対してでした。本当にやりたいことだったので、翌日、社員に集まってもらい話をしましたが、社員は首を立てに振りません。それでも、頭を下げ、時間をかけて話をしました。
 本気で向きあうという経験が、私にとって、経営者としての覚悟を決める出来事になりました。あの先輩会員に会っていなかったら、人のせいにして社長や社員から逃げてしまう自分になっていたかも知れません。
 しかし、このことで、ビジョンや方針を持たなければと強く思うようになりました。

早く社長になりたい

 同友会での例会が刺激となり、早く代表になりたいという思いになりました。それは、自分の考えたことをもっとスピード感を持って取り組んでいきたいと思ったからです。父にすぐ代表交代してくれとお願いすると一年後、という約束をしてくれました。しかし、一年が経ってもその素振りはありません。
 それから一ヶ月が過ぎた頃、社長交代してくれる約束はどうなったのかと直訴しました。すると意外なことに父は、昔に比べて経営をすることが楽しくなってきたと言いました。正直、嬉しかったです。帰って来て親孝行ができたのかなと思いました。しかし、自分自身、社長になるつもりで、準備をしてきたので、期限を決めて欲しいとお願いしました。また。一年後という返事でした。翌日の朝礼で、一年後に社長を交代するので、みんなものそのつもりでと話してくれました。その言葉通り、一年後、代表に就くことができました。

同友会は何のためにあるのか

 青年部を辞めようかと思った時がありました。それは、部会員の会社の倒産でした。私を含め、まわりの者は、何も気づいてあげられませんでした。同友会の仲間とよくいいますが、一体、なんなのか、と思いました。表面上のことしか知りません。友達という仲間意識でいいのでしょうか?
 この経験で、自分が部会長になったときは、メンバーのことがよく分かる仕組みが必要だと思いました。去って行くメンバーをつくっては行けないと思いました。そのために、考えたのがビジョンシートです。

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ビジョンシートは経営指針

 現在、青年部で取り組んでいる四一ビジョンは、四一歳になったときに、自分はどんな姿でありたいか、どんな会社にしたいか、どんな人生でありたいかを考えるためのシートです。
 私自身が考えたビジョンシートは四一歳ではなく、六〇歳定年時を天にして考えるシートです。六〇歳の姿を描いて、五年単位でどんなことに取り組むのかを明記します。大まかな方向を明確にし、特に数値を記入することにこだわりました。経営を語る際に数字は欠かせないと思います。
 役員会や小組会では、運営の話はできるだけ短くし、ビジョンシートに基づいて、経営の報告をしてもらいました。現状や課題、悩みなどを話し、意見交換を行いました。お前の会社には金は貸せないとか、明確なビジョンがないなど厳しい指摘もありました。私自身も成長することができました。
 一般会員に広がれば、同業に戦略がばれるとか、財務内容は公開しないとか、抵抗もありましたが、絶対に役に立つからと半ば強引に進めてきました。やらずに結論を出すのは許せません。やってみての判断が大事なのです。
 進めていくと、温度差が広がりました。それでも、協力してくれる人には、なかなかその気にならない人のフォローに回ってもらうなどして、九二%の方にシートを作ってもらうことが出来ました。
 今、我が社の経営指針は、このビジョンシートをもとに成文化しています。シートに記入していることを拾って指針書に明記しています。
 一年が終わるとできたこと、できなかったこと、失敗したこと、成功したことを来年するべきことを整理して経営指針書を作成しています。

まとめ

 意識を変え、自分自身を変えることは、早ければ早いほど会社も早く変わります。社長になったらという言い訳をよく聞きますが、先延ばしにせず、すぐに向きあって欲しいと思います。
 同友会における本当の仲間意識とはなんでしょうか?私は経営の話ができるライバルだと思っています。傷をなめ合いではなく、仲間の会社が困る前に、情報をキャッチして、手助けができる、そのためにも、本音で言い合えるコミュニケーションが大事です。私自身、こんな会社にしたいという思いを着実に実現していく姿を見たいし見せたいと思います。
 ただ、経営はマラソンだと思います。ゴール前で力尽きることのないように、しっかりとゴールのテープを切れるように、一緒に走り続けたいと思います。覚悟と自信を持って上手にペース配分しながら一緒にゴールをめざしましょう。