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2016.12.27

第3分科会「理念『しあわせづくり、味づくり』で地域一番店をめざす」

2016-12 (10)報告者 ㈲おか半 代表取締役  岡崎 磊造 氏(広島東支部)

◆何が何でもやる!

 経営指針と理念に「何がなんでも」という強い思いがあれば会社は経営していけるという話をさせていただきます。
 私は高校生の時、ある日突然クビになりました。このままでは同級生から置いてけぼりになるぞ、という強い焦りを感じながらも二年位ぶらぶらしていました。
 そして一八歳で、「何が何でも社長になって同級生をごぼう抜きにするぞ」という目標を立てました。
 しかし高校中退です。何ができるか考えました。当時「外食産業」という言葉も聞かれるようになり、「板前ならできるだろう。店が持てるのでは」、という気持ちで就職しました。
 「何が何でも」という気持ちだけで、色々ありましたが、二六歳で寿司と和食の店をオープンすることができました。
 一八歳で立てた目標を二六歳で達成しました。その先のビジョンは立てず、遊んでばかりいました。たまたま高度経済成長期でそんな経営でもやっていけました。
 年商三〇〇〇万円の頃に連帯保証人になっていた叔父さんの会社が倒産し、一気に六〇〇〇万円の債務を背負いました。どうやって逃げようか…と考えていました。すると、どんどん追いかけて来ます。そこで、「よし、払ってやれ!」と決意しました。
 そうしたら案外払えるものなのですね。そんな気持ちになったのは、ある人との出会いでした。一生懸命やっていると助けてくれる人が現れたりするものです。
 当時取引していた銀行の支店長さんにも相談に行きました。小さな店の経営者が相談に行くのも珍しかったのでしょうか。親身になって相談に乗っていただきました。
 頼まれたら嫌と言えない性格でいろいろな事を一生懸命やっていたのが幸いして、地域の方にも助け舟をだしていただき借金を片付けることができました。

2016-12 (11)

◆若い子が定年まで勤められる店にしよう

 当時の私は儲かったら全部自分のお金、税金をいかに少なくするかばかり考えていました。これは無責任経営です。アルバイトの子も入っては辞め、入っては辞めをくりかえしていました。
 ある日の早朝、仕入れに車を走らせていたら、目の前がばぁーっと曇って、びっくりしました。何と自分の涙で曇っていたのです。その前の夜に一番長く続いた子に辞めますと言われていました。一番長かっただけにショックを受けたのでしょう。
 このことをきっかけに友達の経営者に誘われた勉強会に参加するようになりました。ちょうど五〇歳のことです。
 勉強に行くとそれまでの経営を反省することしきりです。中期経営計画など学びながら、どうして社員が定着しないかわかりました。
 結局社員のことは考えていなかったです。店も自分のもの、社員も自分のためにいる、役に立たなければ辞めて当たり前。経営理念も目標も計画もない、ないないづくしの会社でした。
 そこで、今度若い子が入ったら定年まで勤められる会社にしようと思いました。その頃同友会と出会いました。いいと思えばとことんやる性格です。一生懸命勉強して中期経営計画を作成しました。
 出来上がった経営指針は、近所の銀行の支店の会議室を借り、社員さん、パートさん、銀行さん、顧問税理士の先生も呼んで発表会をしました。
 発表会では、社長がベラベラと経営計画をしゃべるわけです。パートさんは何もわからず、ただポカンと聞いているだけです。幹部にも事前に指示を出して決意表明してもらいました。が、やらされ感たっぷり。白けた場面もありありました。それでも銀行の支店長さんは「うちの銀行ではこんなの初めてですよ」と喜んでいただきました。その夜は店で大宴会。これはみんなに喜ばれました(笑)。
 経営指針は作っただけでは会社は変わりません。作り続ける、発表し続けることが一番です。

◆ビジョンは数値で具体化すると実現する

 一度作成すれば前の年のものがあるわけですから、改善して作成し、また一年やってみる。それを繰り返して、ビジョンに近づいて行くのです。
 おか半は「地域一番店しかない」と二〇年間言い続けました。勉強の答えとして出てきたものです。
 会社のビジョンができたら、数値などで具体化します。面積、席数、スタッフの数など。これらを経営指針の発表会で発表します。銀行さんも熱心に聞いてくれますし、具体化したことが他の人にも伝わっていくものです。
 実際にある時、不動産屋さんが「いい土地ありますよ」と紹介してくれました。お金がないので銀行さんに「いい土地があったんですよ」と言って話をします。すると経営指針発表会を聞いていただいていた銀行の支店長さんが「うちでまとめてみましょう」と言ってくださいました。
 そうして敷地八〇〇坪、一五〇席のおか半総本店の工事が始まりました。当時のおか半には大きな投資でした。経営指針がなかったら銀行さんも貸してくれなかったと思います。

●何のために働きますか?

 おか半総本店は一二〇〇万円売り上げれば、借金が返せる計算でした。ところがオープンしたら二〇〇〇万円売り上げる店になりました。
 しかし内実は問題だらけ。社員さんでも、退職する時はほとんどが人間関係です。おか半の店は女性パートさんの多い職場です。派閥ができて、いじめも蔓延しました。
 経営計画を一緒に作ったり、ベクトル合わせはできていたと思うのですが、これはまずいと思いました。労使見解にもあるように誰もが働きやすい職場にしないといけません。
 そこで理念研修を始めました。理念を浸透させることで、いじめや派閥、陰口のない会社を作ろうと考えました。
 理念研修は初めに仕事とは何かを定義づけます。まず「あなたは何のために働きますか?」と尋ねます。家族のためとかいろいろな回答が返ってきます。突き詰めると自分と自分の愛する者のために働くということに間違いはないことを確認します。
 仕事とは、自分と自分の愛する者のために、価値あるものを相手に提供することです。「相手が気に入ってくれるいいものを提供しないと、自分にもいいものが返ってきませんね。店でもそれをしてくださいね、相手の幸せと自分の幸せはイコールですよ」ということをこの理念研修で確認します。厳しい環境の中でいいものを提供しないと店も生き残れないことを伝えます。
 店に来る前に夫婦喧嘩をしても、お店に来たお客様に満足してもらうためにニコッと笑って美味しい料理を出すこと。あなた自身も給料をもらってそのお金を使ってよその店で「満足させてよ」と行きますね。お客様も同じです。店は私たちが豊かになる手段なんだと話します。
 この他朝礼での発表、毎月の感想文の提出などいろいろな研修をしています。
 「ありがとうノート」を始めて二年目位から退職する人が減りました。ただ誰かが社内の誰かに「○○さん、○○してくれてありがとう」と書くだけですが、これはすごい魔力があります。

2016-12 (12)

●企業変革支援プログラムと経営指針のいい関係

 企業変革支援プログラムは、まず社長がやってみる。そして、幹部にもやってもらいギャップを知り、定期的に続けることが大事です。
 自己評価が低くて落ち込んで、幹部社員とのギャップに落ち込んで、と会内でなかなか進まないのが経営労働委員会としては悩みです。
 しかし、安心してください。みんな1や2ばかりです。伸び代があると思って、STEP2で評価1を2にするにはどうしたらいいか、2を3にするには、と考えて社内で実践しましょう。続ければ必ず会社が良くなります。
 企業変革支援プログラムSTEP1で会社を総括し来期につなげるわけです。うちでも社員さん・パートさんと一緒に「Ⅰ―①経営理念の社内の共有」「Ⅰ―②社員との信頼関係の構築」について評価をひとつあげるにはどうしたらいいかをグループ討論し、まとめてもらいました。
 1点、2点ばっかり、厳しい意見、改善点もたくさん出ました。こういう模造紙(画像参照)にまとめたことをパートさんが言うのです。「じゃあ、あなた係になってやってください」とお願いします。グループ討論では一時間では足りないくらいパートさん達が討論してくれます。現在約六〇名のパートさんがいますが、勤続一〇年表彰を受けるパートさんも毎年出るようになりました。ここは自慢してもいいのかなと思います。
 企業変革支援プログラムを使って、経営指針を総括し、改善し、実践することでだんだん会社がよくなっていきます。その過程で人が育ち、社風が良くなります。業績に反映するには一〇年かかると言われています。あせらず一緒に取り組んでいきましょう。