福山支部7月支部例会 「世界最強の豆菓子屋をめざす『豆徳』147年の歴史と未来」
報告者 徳永製菓㈱ 代表取締役 上迫 豊 氏
(福山支部)
当社は福山市胡町で、「豆徳」の屋号で豆菓子の製造販売を行っております。創業は明治2年、雑穀の卸としてスタートしました。今年で147年目、私で8代目の会社です。
豆菓子は非常に長い歴史がある一方、廃業を迎える企業も多く、協会の加盟数も減少しています。そんな中、おかげさまで自社の売上は順調に推移しており、12年前の約4倍の売り上げを達成することができました。販売は国内だけでなく、海外10カ国以上にも輸出を行っています。
●時代の変化と挑戦
この間、必ずしも経営が順調だったわけではありません。昭和30年代には、備後地方で徳永製菓の豆菓子を販売するチェーン店を約40店舗展開していました。戦後で甘い物の需要が高く、商品が飛ぶように売れた時代でした。しかし、昭和40年代に入るとスーパーマーケットが台頭してきます。当社は完全にこの流れに乗り遅れてしまいました。同時期に非常に優秀だった経営者が急逝してしまい、企業として存亡の危機を迎えました。
その後、新しい経営者を迎え、問屋だけでは利益の確保が難しいと、当時はまだ珍しかったシリアルに着目しました。海外の大手食品会社の日本社長とタッグを組み、カナダからオーガニックのシリアルを輸入して販売することにしました。
パッケージのデザインや倉庫の確保など、かなりの金額を投資するも、まったく売れません。いまでこそ、オーガニック食品は一般的ですが、その頃はまだ世間に浸透していなかったのです。契約では売上に関わらず、半年間はカナダからシリアルが入ったコンテナが届くことになっていたため、大量の在庫を抱えることになってしまいました。
ある日、倉庫会社から緊急の連絡が入り、あわてて駆けつけると、シリアルが入ったコンテナに大量の虫が発生していたのです。その光景は今でも忘れることができません。この一件で当社は債務超過になり、まだ入社して数年だった私は、先代の社長が一日中、資金の心配をしている様子を見て、「こうやって会社は倒産するのだ」と思っていました。
大きく会社の流れを変えたのが、先代が一四年前に開発した竹炭豆です。食品に初めて竹炭を使うことに成功し、多くの方に注目していただきました。当社はこの商品がきっかけで豆の売上が3倍になり、危機を乗り越えることができました。
現在ではOEMを含めると約300種類の商品を製造販売しています。この業界は大量生産の大手と、高品質だが生産量が限られる家族経営の企業のどちらかに分かれる傾向がありますが、徳永製菓は手作り感のある品質と量的生産を両立しています。
●老舗にしてベンチャー
当社は147年の歴史がありますが、一度倒産しかかった会社です。個人的には14年前の竹炭豆の誕生から新たな会社が始まり、今年で創業一四年だと思っています。私は過去の経験から、社歴の長さが会社を担保するとは限らないと心に留め、自分は後継者でなく、創業者だと考えるようになりました。
今回、自社の歴史を振り返ってみて、当たり前のことをちゃんとすることが一番大切だと気付きました。当社には「困ったときは豆に戻れ」という言葉があります。創業以来、氷やパンなどいろんなことに着手した時期もありましたが、やはり原点は豆です。
100年を超える企業は全国に約2万6千社ありますが、200年となると約3千社にまで減ります。私は老舗企業であっても、事業設計をきちんと立て、ねらって結果を出すことにこだわっています。当社は経営理念に「世界最強の豆菓子屋をめざす」と掲げています。もちろん理念は大切ですが、その実現をめざして行動する、実行力こそが大切だと思うのです。
日本には、各地に地域ブランドが存在します。伊勢の赤福や京都の八ツ橋のように、私は次の200年目をめざし、「福山と言えば豆徳」と言われるよう、豆徳を地域ブランドにしていきたいと考えています。