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2016.01.07

⑥第5分科会 「特別支援学校の卒業生が、社長を変える!社員を変える!会社を変える!」

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パネリスト 広島県立福山北特別支援学校  前校長  小野 一惠 氏
           ㈲アサヒフィルタサービス    社長    宮﨑  基 氏(福山支部)
           ㈱アシスター               社長  松井  稔 氏(福山支部) 
           ㈱オーザック               専務  岡崎 瑞穂 氏(福山支部) 

源田)コーディネーターを務めます事務局の源田です。本日は福山支部バリアフリー委員会と広島県立福山北特別支援学校との連携から生まれた企業と学校の変化についてお話いただきます。まず、小野先生に学校の状況を教えていただきます。
小野)平成17年当時、県内の特別支援学校(以下、支援学校)の就職率は全国で最下位でした。そこで、県教育委員会は平成21年に県内二校の支援学校に就職を目標にした職業コースを設置したほか、技能検定や就職支援教員(JST)の導入などを進めました。この結果、全国最低だった就職率が平成26年度末には、39.8%と約4倍になりました。
 現在、支援学校の児童生徒数・就職希望数ともに増加しています。福山北では普通科も含め高校1年生50名のうち、約70%が一般企業への就職を希望しています。そこで、少しでも多くの企業の方に学校に来ていただこうと、福山北では企業参観日と就労支援会議を企画しました。

バスツアーから実習へ

源田)バリアフリー委員会では5年前から、先生を対象にした企業訪問バスツアーを開催しています。受け入れた感想をお聞かせください。
岡崎)鉄鋼業の当社は危険だから雇用は絶対に無理だと思っていました。ところが先生は会社の隅々まで見て「この仕事なら生徒でも出来ますよ」と言ってくれました。この言葉で、私たちが障害を持つ人たちのために仕事を見つけていなかったのかも、と気づきました。
松井)私は2012年8月、大植委員長から直接依頼があり、バスツアーを受けました。先生は次々と質問され、予定時間をオーバーするほど、熱心に見学してくださったのを覚えています。
源田)参加した先生の様子はいかがでしょうか。
小野)まずは教員の目が変わってきました。多くの教員は一般企業を知らないまま教育の世界に入るので、企業のことをほとんど知りません。教員は、中小企業の存在や仕事を知ることで、「危険だからできない」などの先入観がなくなり、生徒と実際の仕事を結びつけて考えられるようになりました。授業でも報連相や整理整頓などを取り入れています。
源田)実習を受け入れたきっかけと感想を教えてください。
宮﨑)平成23年2月、同友会のアンケートをきっかけに一名の実習を受け入れました。その時は実習だけで終わりましたが、同じ年の11月に、学校から「3年生でまだ就職が決まっていない生徒が1人だけいる。受け入れていただけないか」と相談がありました。その子は、てんかんのために発作が起こるが、自分でコントロールできるので心配はない、と聞きました。私はとりあえず、一週間の実習を受け入れることにしました。
松井)私は障害と言えば重度障害のイメージしかなく、とてもじゃないけれど、生徒の受け入れはできないと考えていました。それがバスツアーで卒業生が発表する様子を見て、障害に対するイメージが変わりました。どこに障害があるのかわからなかったのです。その後、委員長から、浴衣が縫える高校二年生の生徒の紹介があり、雇用はできないことを条件に実習を受け入れました。
 いろいろ心配をしていましたが、Sさんの実習は、こちらが拍子抜けするくらい問題なく終わりました。私は彼女の様子を見て、当社でも問題なく仕事ができると確信しました。Sさんも女性社員が気に入ったのか、数ある実習先の中からアシスターを就職先に選んでくれました。
岡崎)当社は校区の関係から、沼隈特別支援学校の生徒を受け入れ、1人目は実習だけで終わりました。次に来たT君の実習が始まる前、社員は、また障害がある生徒が来ることに少し身構えていました。それが実際に彼と仕事をしてみると、どこに障害がわからないほどスムーズに進み、社員とも打ち解けていきました。

会社が変わり、社員が変わる

源田)3社ともスムーズに進んだ様ですが、学校では就職に向けて、どのような準備をしているのでしょうか。
小野)高校1年生の時は校内学習が中心ですが、二年生からは企業で実習を始めます。企業の方は、実習を受け入れるとすぐ採用しないといけないと思われがちですが、必ずしもそうではありません。実習にあたり、JSTが複数の企業を訪問して、マッチングや相談するなど丁寧な準備をしたうえで、実習に進みます。
源田)宮﨑さんと岡崎さんの会社では平成25年の春に、松井さんの会社ではその翌年に採用しました。入社後に困ったことはありませんでしたか?
宮﨑)私がいないときに、一度大きな発作が起きました。社員から何かあったときに責任が持てないと言われましたが、その後、社員は自主的に家族から話を聞き、対処法を会社の壁に貼ってくれました。それだけでなく、発作で仕事が中断した時に備え、仕事のやりくりを考えてくれました。当初は気を遣う一面もありましたが、大きなトラブルも乗り越え、今では優しく、かつ厳しく指導しています。
岡崎)製品に塗料を塗る仕事をした際、上手く指示が伝わらなかったのか、ベタベタに仕上がったことがあります。JSTのアドバイスを受け、社員と根気強く教えると彼は製品を完成させることができました。
 ある日、ふと社内を見ると、先輩社員がT君の行く先々を目で追いながら、自分の仕事をしていました。先輩社員が育ったことを実感すると同時に、気遣いのできる社員がたくさんいることをうれしく思いました。

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障害者雇用に挑戦して…

源田)困った話がいい話になってしまいました…。本音のところ、障害者雇用を経験してみてどうでしたか?
松井)当初は障害者雇用の意識は全くありませんでした。それがSさんと出会い、他の社員と変わりなく仕事をする様子を目の当たりにしました。Sさんの入社後、縁あって聴覚障害の方を採用しました。ところが、Sさんのときとは異なり、とても苦労しました。私も諦めかけましたが、何とか3度目の部署で見通しがつきました。社内で何か仕事を探していけば、何とかなるんだと学びました。
岡崎)最初は不安もありましたが、実際に取り組んでみると取り越し苦労だったとわかりました。取り組めないじゃなくて、経営者が本気で取り組む気がなかったんだと気付きました。
 障害者雇用を通じ、私だけでなく社員も優しくなり、とても成長しました。社員は、「T君より課題が多い社員もいる。でも彼らは変わらないんだから、自分たちが変わって、みんなの居場所を作っていこうと思います」と言ってくれました。社内からこんな声が聴けるようになったのは、障害者雇用をしたからだと思います。
宮﨑)もちろん仕事なので、効率や利益の確保は一番ですが、雇用をきっかけにお互いを思いやる気持ちなど利益以上のものを手に入れました。N君と関わって、はっきりとわかったことがあります。それは、みんなに支えられて生きているということです。私の会社も、N君に支えられて仕事があると思っています。
 完全な人間なんていません。当然、そんな人たちが集まってできる社会や組織は不完全なものです。だからこそ助け合い、いいところは認め、足りないところはカバーしあっていければいいと思うのです。当社のような小さい会社でも障害者雇用を通じて変わることが出来ました。一人でも多くの企業が障害者雇用を通じ、よりよい社会、よりよい会社に一歩でも近づいていただきたいと思います。
源田)多くの支援学校では障害の軽い生徒が増え、環境が整えば一般企業でも働ける子どもたちがたくさんいます。この連携は学校に役立てたでしょうか。
小野)同友会との連携があったからこそ今がある、これが全職員の思いです。同友会との出会いがなければ、増え続ける生徒を前に、就職をどうしようか今でも悩んでいたと思います。障害があるから働けないと思えば、次のステップには進めません。企業の方が支援学校の話を聞いて、まずは見学や実習だけでもと思っていただければ、それだけでも大きな一歩です。
 就職など進路が決まった生徒は、よろこんで報告に来ます。子どもたちが少しずつ自分に自信を持ち始めた様子を見て、今後も取り組みを続けていきたいと思いました。今日、参加された皆さまが次の一歩を考えていただければ、一人でも子どもたちの未来が拓けていくと思います。