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2025.03.26

「未来を作る〜挑戦を恐れず行動し続けることの重要性〜」広島東支部青年部会

開催日時:
2025/02/27(木)
会場:
県民文化センター
人数:
534名
報告者:
講師:(株)植松電機 代表取締役 植松 努 氏
文責者:
アイウイングス(株) 相原 一哉

令和6年度東支部青年部の集大成として、野村部会長の悲願であったオープン例会が開催されました。およそ6年ぶりとなるこの例会の記念すべき講師には、北海道の株式会社植松電機を経営する植松努氏を招いて講演を行って頂きました。
植松氏が幼い頃から抱いていたロケット打ち上げへの憧れとその挑戦の連続の記録を実体験を基に語って頂き、挑戦をすること、そしてそれを続けることの重要性を時間の限り伝えて頂く貴重な講演でした。

余談ですが、植松氏の会社はあの人気ドラマの「下町ロケット」のモデルとなった会社で有名ですが、本人は主演の方とのギャップがありすぎるので、あのドラマの人だと言われるのは勘弁願いたいとのこと。紹介されるならロケット開発を世界一行う会社の社長にして欲しいと茶目っ気たっぷりにおどけておられました。

講演を聴いた感想として、私が感じた植松氏の人間性は、夢や性格を否定する大人たちに対するアンチテーゼのような、ある種の反骨精神が心の内から表れていると感じました。
子どもの頃からロケットを作りたい、打ち上げたいという夢を持つ中で、親や先生といった大人たち全員から「無理」「できない」「諦めろ」の言葉を投げつけられてショックを受けていましたが、挫けそうになった時こそ、愛読していた伝記書の内容を思い出しながら、何も成し得ていない人の言葉ではなく、成し遂げた人の行動を見習うべきと自分を鼓舞してモチベーションを高めたそうです。この諦めない原動力が、後に植松氏の未来を切り拓く力になり、「思いは招く」という言葉を体現する力にもなりました。

工作が得意で、モノづくりには自信があった植松氏ですが、残念ながらロケットに関する知識がなく、「ロケットを作る人は理系で頭の良い人しかいない」という周りの言葉に込められた〝諦めろ″という圧力に屈してしまいそうになりましたが、北海道大学大学院の永田教授との出会いでその後の人生が大きく変わっていきました。

モノ作りができる植松氏と、ロケットの研究を進めていた永田教授との運命的な出会いにより、夢であったロケットの開発に関わることができたのです。この出会いで、植松氏はある一つの経験を得ることができたと語っており、それは、夢は叶えた人や叶える手段を知っている人の耳に届かないと叶えられないということです。

思えば、植松氏の夢を否定するのは、皆何かを叶えたわけでもない人たちや叶え方を知らない人たちばかりで、調べるでもなく、考えることもなく感情のままに不可能と決めつけていました。しかし、それが叶え方を知っている人と出会えたことで、まるで近道を見つけたかのように夢への道が開けたと言います。
さらに面白いことに、その経験は本人だけでなく、ロケット開発を通じて出会った人の夢も叶うという奇跡の連続が起こる事象にまで発展しました。その中でも印象的だったのは、エアレース(飛行機)のパイロットになりたい高校生が、教師や親などの周りの大人に相談しても「それは難しい」と匙を投げたような言葉をかけられて落ち込んでしまうも、諦めきれずにいたところで植松氏の存在を知り、直接会いに行って相談を持ち掛けました。その高校生の一途な夢を聞いた植松氏は、ロケット開発がキッカケで出会った友人の中に、実際にエアレースでプロとして活躍された室屋義秀さんに連絡を取り、話を聞いた室屋さんからの招待を受けて、その高校生はエアレースの世界を体験し、初対面から半年後には飛行機の免許を取得するまでに夢に大きく近づいたという驚きのエピソードでした。

このような経験から、植松氏は「思いは招く」ということを実感することができたと感慨深げに語っておられました。それは、自身の抱いた夢は、考えるだけであったり、理解してくれない人に話しかけても叶うことは難しいが、その夢を理解してくれる人に発信することで、その話を聞いた誰かが夢を叶えてくれる人や夢の叶え方を知っている人、夢に共感して一緒になって叶えてくれる人という素敵な出会いを運んでくれる呼び水になれることを知れたからです。
人に夢を語ることは、恥ずかしくて言えないという人が多いのは、現在の自分と比較してとても叶えられないと尻込みして諦めたり、できない理由を探してしまうネガティブな心の表れでもあります。
そして、そんな人が大人になり、子供の夢を聞いた時に、考えることやできることを実践しないで、自分の諦めの感情だけで「無理だ」と吐き捨ててしまい、子供の夢を壊してしまう人になってしまうのが、植松氏にとって一番恐ろしい存在だと実体験を交えて語っておられました。

特に、植松氏がこの講演で頻繁に発していた言葉が「これまでの日本の教育方針」というもので、子供の人口が減少しているこのご時世で競争や偏差値による数値の比較だけの教育では、子供の自主性が失われて世界に通用する人材が育たなくなることを危惧されています。もちろん、意欲的に取り組んで結果を出す生徒もいることも認めていますが、問題は競争に負けたり、努力と結果が見合わないと感じて努力そのものを諦めてしまう子供が努力できる子供の数を上回ってしまうことが危険であると警鐘を鳴らしています。
また植松氏曰く、日本の子供たちは明治維新から続いている教師から生徒への軍隊のような命令に近い教育方針が、自主性のある生徒たちの個性を奪っていると主張しています。教師の言う「これをやりなさい」「あれはやってはいけない」「先生の言う通りにしなさい」という言葉は、子供に「考える力」を奪い、前述の自主性が失われることで無気力で無関心な子供が増えてしまい、引きこもりやニートとなって貴重な人材を手に入れる機会を逃してしまいます。

実際に、植松氏は新卒採用や中途採用を積極的に行いましたが、入社しても定着できずに退職する人が多くなってしまいました。その原因を考察した結果、自分自身があれだけ嫌っていたはずの命令による指示で仕事を行う職場環境を作ってしまったことだと辿り着いた時、知らず知らずのうちに自信も否定する大人たちに毒されていたことを自覚しました。今の会社の現状では未来がないと悟り、植松氏はすぐに行動を開始して、会社から役職を取り払い、年功序列や順位のボーダーを無くしました。これによって、職場は混乱するどころか、社員たちが自主性を持って仕事を行うようになり、好奇心と探究心を育む環境になったと言います。それは、学歴が良い人でも無い人でも、文系理系に関わらず、植松氏が尊重する「考える力」を持っている人ならば、どんな人でも受け入れる体制があり、実際に高卒の人でも積極的に採用している。

さらに、植松氏はロケット開発を通して、現在の学校教育で努力を諦めた子供や自信を失くした子供でも達成感を経験することで、失ってしまった自信を取り戻そうとするロケット製作の活動を続けています。
その根底には、やはり植松氏が子供時代に味わった同調圧力と否定の言葉で自信を失ってしまった苦い過去に対する思いが背景にあり、できないと思っていることが自分でもできることを伝えたいという彼の隠れたメッセージが込められています。実際に、製作に参加した子供たちは、ロケットなんか子供の自分が作れないと決めつけていましたが、やってみたら本当に作れたという成功体験に変わったことで、自信と好奇心が一気に湧き上がり、どんなことでも挑戦しようという気持ちが表情からでも見て取れたと語っていました。

そして、植松氏は例え挑戦が失敗しても、諦めない力を身に付けることが、これからの人類に必要となる「AI技術にも負けない人材」の育成に繋がることを訴えています。そのためには、子供の大好きや面白い、やりたいというポジティブな好奇心と行動力を否定しない人。できなくても、できるために何ができるか考えられる力を持った大人が現れることが次の世代にとって非常に重要で、この講演を聴いた人全員が、これから考える力を付けて行くことが大切であると力強く説いていました。
私たちは、これまで無意識に感じていた「どうせ無理」「できない」と即断してしまう思考を一度真っ向から否定し、「でもやってみよう」「できる方法を考えよう」といった前進する言葉と心で諦めることを諦めない“ツトムイズム”を根付かせていかなければならないでしょう。

最後に、植松氏の「挑戦すること」の言葉は、今年度の初めに、野村部会長の宣誓でオープン例会に向けて動き出し、三浦次期会長候補が実行委員長として周りを引っ張ったことで、結果的にたくさんの人を巻き込んだオープン例会にまで発展することが出来ました。これも、コロナで開催が自粛され、復活を目指す中でイタズラに時間が過ぎていき、だんだんとその文化を知る会員が減っていく中でも、「挑戦すること」の心の火を絶やさなかった野村部会長の情熱は次世代に受け継いでいきたいモノです。
今回は、慣れない行事で会員のほとんどが手探りで作り上げた少し不格好な「挑戦のカタチ」ではありますが、この挑戦を毎年継続することが、東支部青年部会の組織作りに重要な要素となることは確かで、そしてそれが「行動し続ける」ことへの成長の証になれると信じております。