東広島支部

~歴史を積み重ね、会勢&活動を広げていく30年の軌跡~

 「賀茂学園都市建設」および「広島中央テクノポリス建設」の2大プロジェクトを柱に、産業基盤の整備が進んでいた東広島。1991年に広島同友会20周年の事業の一環で、支部を設立する計画がもちあがり、準備委員会が設立されました。
 当時、唯一東広島市に在住していたということで(有)サンセイ工業の三宅社長が設立準備委員長に指名されました。氏はそれまでまったく会活動には参加していなかったそうです。それからの2年間は同友会のあらゆる会合に出席し、同友会の組織、活動を理解すると共に、経営に必要な知識も学ぶことができたそうです。
 その後は、他支部の会員の支援のもと、「東広島に同友会の灯」を合言葉に世話人会や例会が開催され、1992年に27名の会員で東広島特別地区会が発足しました。翌年の1993年9月14日に、47名の会員で設立総会をおこない、三宅氏を支部長に東広島支部が誕生しました。
 5周年には東広島中央公園で「同友トピアIn東広島」の開催及び講演会を行ないました。この行事により、会員同士の団結、絆が深まったそうです。その後、三宅支部長は7期14年支部長を努めました
 支部発足から15年目、発足当時から三宅支部長を副支部長として支えてこられた中国ビー・エフ(株)の原田社長が支部長になられます。15年の記念行事は支部理事の中から「経営理念のない会社は会社でない」という声がでて、会員全員の経営理念を作ってもらおうということになりました。理念作成勉強会などを何度も開催、参加されない会員には会社訪問を行い、会員全員が経営理念を作成しました。この活動はとても評価され、中小企業家しんぶんに「経営理念100%達成」として取り上げられました。作成した経営理念は素敵な額に入れ、会員に15周年の記念品として配布しました。今でも当時の会員企業のところに行くと壁に掛けられています。原田支部長が2期支部長を努めた後、(株)昭和観光社の平森社長が2期4年支部長をにないます。自社の事業転換で多忙な時期でしたが、だからこそ支部長をしたいとの意気込みの4年間でした。その後、氏は高齢化社会のユニバーサルツーリズムの促進事業で第22回ツアーグランプリ2015国土交通大臣賞など数々の賞を受賞しました。また、この時期(2013)事務局から、地区会を発足してはどうかということで、地区会発足の準備が始まりました。翌年3地区会が発足しました。その後、(株)堀内造園の堀内社長が青年部会を発足。東広島支部の体制がかなり変化した時期でもありました。これまで会に参加していなかった会員の方々の参加が少しずつ増えてきました
 その後、東広島支部発足から22年間、設立当初から常に支部に携わり各委員長や副支部長を引き受けてこられた、(有)オーエヌ総合教育センターの奥内社長が支部長に就任。2期4年間中に25年を迎え、周年行事には元東洋太平洋バンタム級チャンピオン・現(株)川崎新田プロモーション代表取締役の新田渉世氏に講演頂き、懇親会では大勢の来賓に参加して頂き、盛大な25周年行事を迎えることができました。
 現支部長、(株)ツインズの田中社長が支部長となります。これまで新たに支部理事になる方が少なかったことから、何期(何年)も支部理事を努められた方が多く、支部理事の高齢化が目立っていた中、支部理事をある程度刷新してのスタートでした。東広島に事務局設置を目標に会員200社を目指し、当時100名程度から増減がない状況でしたが、理事中心に年に20社入会を目標に頑張り、この4年ちょっとで180社になりました。会員が増えることで会も活性化し、退会者も減ったことも要因かと思います。それと、田中支部長のリーダーシップも大きな要因です。今年、純増率が広島県で1位、全国で4位になりました。
 地区会、青年部会も活動が活発になり毎月例会が行われ小組化も進んでいます。
 経営労働委員会も以前は参加者が1桁でしたが、今では数十名が毎月参加して勉強会が行われています。
 求人社員教育委員会では年に数回、東広島市内、近隣の高校の先生との懇談会・会社訪問を行ない、多数の高校の先生が参加され、会員企業へ高卒生の就職が決まっています。
 会員増強の為、年に4回オープン例会を行っていますが、参加者が100名を超えることもあります。今では例会後の懇親会場の準備が大変です。
 現在、大学・研究機関との交流があまりありませんが、少しずつですが、学生との交流も生まれています。 今後事務局ができれば、会活動もさらに活発になり会内・会外ともに交流も盛んになると思います。東広島支部も30周年を迎えました。今後益々、会員企業・東広島支部・東広島市が発展していくことを願います。

全社員が経営理念を成文化しました(2008年)

支部の活動報告